株式会社 横濱BARBER

豊島 昭王Akio Toyoshima

1972年9月6日、神奈川県生まれ。窪田理容美容専門学校卒業後、都立大学駅にある理容室に就職。その後、1894(明治27)年の創業から100年以上の歴史を持つ老舗『成田理髪店』に再就職。同社の倒産を機にスカイビル店舗とその歴史を継承し、2012年10月『株式会社 横濱BARBER』を設立、独立開業を果たす。現在は横浜に『理容室NARITA』『NARITA+PLUS』の2店舗を運営している。

明治から続く『老舗床屋』を継承し再建。独自ブランディングで幅広い年齢層に愛される床屋の真髄に触れる。

勤め先の倒産を機に、明治から代々続く『老舗床屋』を継承。

専門学校卒業後、都立大学駅にある理容室で4年間の修行に励んだ後、24歳で明治27年の創業から100年以上の歴史を持つ『成田理髪店』に再就職。かつては横浜駅舎にあったという老舗床屋に10年以上勤めるも、同社が倒産することとなり、自身でスカイビル店舗とその歴史を引き継ぐことを決意。
「もとはスタッフでしたが、100年続く歴史を残したいという想いから『理容室NARITA』として独立開業し、引き継がせていただきました」
急遽1ヶ月で『株式会社 横濱BARBER』を立ち上げ、ビルと交渉し、店舗を引き継いだ。そして解雇となったスタッフを再雇用し、存続の危ぶまれた老舗床屋の息を吹き返すべく、こうして豊島代表の挑戦は唐突に幕を開けた。

ノウハウは『トライ・アンド・エラー』でどんどん自店に取り入れる

技術者から経営者へ転身を遂げた当初、手探りながら懸命に目の前の仕事に取り組むものの、“社長としての立ち居振る舞い”とはどうあるべきなのかを試行錯誤していた。そんなある日、理容組合のパンフレットに入っていたチラシが目にまる。
「“とにかく前進しなければ”と思い、経営学の必要性を強く感じていたので、SPCのチラシに掲載されていた“理容室経営”のセミナーイベントにすぐ申し込みました。8月のイベントに参加して1月にはもう正会員になっていましたね」
入会してからは、神奈川本部の会議に参加。先輩経営者たちの経験談を聞く“1分間スピーチ”で経営者としての在り方や姿勢を学び、情報やノウハウはあますことなく吸収。自店に落とし込んでは実践を重ねた。
「SPCはサロンの数だけ情報がありますよね。成功しているノウハウは“トライ・アンド・エラー”でどんどんトライして自店に合うようにうまく取り入れていくんです」
いかなる情報も吸収したあとが肝心だ。豊島代表は持ち前の行動力をいかんなく発揮、右肩上がりに業績を上げ続け、その後2店舗で1億円の売上を達成。危機に瀕した理容室を軌道に載せた。

吸収した『学び』を独自スタイルにアップデート

経営者交流は事例の宝庫、それをどう活用するかがもっとも重要だと話す。
「たとえば、理容室ではこれまで店販を重視してこなかったのですが、“福袋”キャンペーンのノウハウを教わってからは、毎年約400万円ほど店販売上を立てることができています」
月にムース1本売れれば良い方だという“理容室の常識”を塗り替え、美容室のような“福袋”セールスプロモーションを採用。また、先輩経営者から自社ホームページの重要性についてアドバイスを受け、オリジナリティ溢れるイメージ戦略を実践。トップページを飾るコミカルなイラストが親しみやすさを与え若い客層を獲得、集客は何倍にも増えたという。
「経営者交流には様々な“学び”がありますが、そのまま真似する必要はないんです。良いところだけを取り入れ自分のこだわりは最大限活かしながら、オリジナルに進化させていく。組織に対しても俯瞰的な視点で物事を見る。そういった自由な立ち位置を大事にしています」
先輩経営者から吸収したノウハウを自分なりに落とし込み、フレキシブルな発想で独自スタイルにアップデートしていく。歴史を重んじながらも進化を続ける『理容室NARITA』の真髄がここにある。

横浜で100年続く『成田理髪店』を引き継いだことがターニングポイント

明治から続く『成田理髪店』の窮地を救い、店を引き継いだことで技術者から経営者へ転身。豊島代表と老舗床屋の未来は大きく変わった。
これまでの顧客を混乱させないため屋号はあえて変えず『ナリタ』のまま継承、店を立て直すため奔走することとなる。
「まずは“経営理念”を設定し、スタッフが判断に迷ってもひとつの指針に立ち帰ることができるポイントをつくりました。目的意識を共有することで、スタッフの一体感はより強くなりましたね」
経営者になってからは、自身は経営に専念。店は店長が回すよう促し、極力口を出さないように務めた。現場の自主性に任せた結果、スタッフの意識が向上し店全体で良い流れをつくれるように。他に、メニューと客単価の見直し、新しいサービスの開発やブランディングなど次々と改革を推進。そして『理容室NARITA』は見事に息を吹き返した。
起業後に入会したSPCでの具体的な助言やアドバイスがなければ今の自分はいなかったという豊島代表。現在は自身が“店舗拡大に関するセミナー”の講師を勤めるなど活躍の場を広げ、アウトプットも自身を振り返る“学び”であると語った。

人気ブランドとコラボ!独自ブランディングで若者の集客アップ

『理容室NARITA』のブランディングは、豊島代表ならではのオリジナリティが光る。ホームページやポスターにはプロのイラストレーターに発注した遊び心のあるコミカルなイラストを掲載。気取らない親しみやすさが好評となり集客がアップ。また、ポップアップストアで見かけて一目惚れしたという人気ブランド『河合シャツ』とのコラボにより店の制服やクロスを共同開発し、新たなイメージへ一新。店舗でも『河合シャツ』の商品を取り扱っている。
こうした独自の取り組みが功を奏し、ネット上にある数々の『おしゃれ理容室ランキング』では『NARITA+PLUS』も含め常にランクイン。床屋でありながら、20代〜30代といった若年層の支持も集めている。
また、幅広い年齢層の誰もが“安心して通える場所”を提供するため、“素早い対応、礼儀正しい対応、きちんとした言葉遣い、自分は特別と感じられる対応”をモットーとしている。
「過不足なくお客様の“当たり前”にお応えすることを心がけています。“誰が担当しても、いつご来店されても、変わらない仕上がり”を目指し、髪を切りたいと思って出かけた人の足が自然と『理容室NARITA』へ向くような“生活の一部”になりたいですね」

 

店を回すのはスタッフの仕事。スタッフを守るのは僕の仕事。

今日も問題なく店が回るのは現場スタッフの力があってこそ。現時点での『理容室NARITA』の目標は“スタッフが安心して働ける環境をつくる”ことだ。
「お客様をリピートさせることはスタッフの仕事、スタッフの気持ちを裏切らないのが僕の仕事なんです。ひとりひとりに寄り添いながら後ろからそっと押し上げてあげられるようなあたたかい経営方針で、小さくても足腰の強い会社を目指しています」
老舗の看板を守りながら、独自のスタイルで成長を続ける『理容室NARITA』は、今や幅広い年齢層に愛される唯一無二の理容室へと進化を遂げた。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社 横濱BARBER
代表
豊島 昭王
創業
2012年10月
店舗数
2店舗
スタッフ数
16名
本社所在地
神奈川県綾瀬市早川1601
取材店舗名
スカイビル 理容室NARITA
店舗所在地
横浜市西区高島2-19-12-9F
URL
http://www.yokohamabarber.com

有限会社サンワイズ

山﨑 勇太郎Yutaro Yamazaki

1964年5月13日、千葉県生まれ。専門学校卒業後は理容室に勤務、店長を勤めるかたわら国際理容協会の講師としても活動。2005年2月『有限会社サンワイズ』設立。夫婦二人で理容室を出店。現在は千葉県内にて『レディースシェービングエステBELLSHAVE(ベルシェーブ)』と『LUCID STYLE plus』の2店舗を運営している。

人との『縁』が「現在」をつくり「未来」を変える。『地域貢献』で人と社会をつなぐ、ブランドサロンは新たな境地へ。

ある経営者との出会いが人生を変えた

千葉県四街道市の電気店とレストランを営む両親の元に生まれ、専門学校卒業後は理容室に勤務、店長を勤めるかたわら国際理容協会の講師としても活動。理容師として将来を考えていた折に、『有限会社はやせ 』の早瀬代表と出会ったことで人生が大きく動き出していく。
「以前業界紙で拝見し深く印象に残っていたこともあり、つてのあった知人を通じて早瀬代表に“御社で勉強させて下さい”と思い切ってお願いをしたんです」
快く引き受けてくれたという同社の運営サロンにて“技術者”から白衣を脱ぎ経営を学ぶためのあらゆる指南を受けることとなった。こうして、今までの理容師・講師活動とはまったく違うサロン“経営者”としての新たな道が拓かれた。

『組織の信用』を借りることでリスク激減。倍速で目標達成を目指せる

その後、早瀬代表の紹介でSPC会員サロンへ移籍し、約8年間店長を経てマネージャーを勤めながら、すでに入会していたオーナーに同行しサロン見学など様々な勉強の場へ参加。多店舗展開のノウハウや教育、事務機能や求人について学んだ後、時代の変化に伴い畳んだ本家の跡地に夫婦で理容室を出店し独立開業を果たした。
「正式な入会は3店舗展開してからと考えていたのですが、実際に業者とやり取りし、SPCのバックボーンがないことで対応がまるで違うことを思い知らされたことがあります。その時、信頼にたる組織の力とその大きさに気付かされましたね。独りよがりでリスクを負うより、はじめから素直に組織の力を借りて自信をつければ、倍の速度で目標達成できるのではないかと考えました。加えて、親身になってくれた先輩経営者の応援もあり正式加入に至りました」
また、以前よりイチスタッフとして勉強会などに参加していたことで、サロン経営についてオーナーとは違う側面から俯瞰で分析するという独自の視点も養うことができたと話した。

利己的な倫理観から『地域貢献』という社会還元へ

経営者交流を経験したことで、技術者が白衣を脱ぐことの重要性、個人事業を企業化することの意義などを学び、具体的な数字として結果を出すことを意識するようになった。
「技術者の仕事は腕を磨いてお客様と向き合うことですが、経営者はスタッフも含めた周り全体を幸せにしなければなりません。“自分さえ成功すればいい”という利己的な倫理観から“地域貢献”という視野を持って広く社会へ還元していくことが組織の在り方であり哲学ではないでしょうか。こういった意識がグランドデザインにも反映されていくのだと思います」
セミナーで聞く知識よりも、自分の肌で体感することの方が学びは多い。経営者交流は、小手先のテクニックではなく、心を育てる“人間力”が身につく場所でもあるという。
「全国にこれだけ会員が多いと価値観も様々で常に発見があります。そんな経営者同士で叱咤激励をし合える仲間がいることが何よりの切磋琢磨になりますね」
これまで“独立したら3年毎に会社としての成長につながる出店、事務所、寮をもつ”等の目標設定をしてきたという山﨑代表だが、モチベーションを保つためのこのマインドこそが恩師である早瀬代表から最初に教わったことだ。
「もし楽な道と辛い道があるなら、私は辛い道を選ぶ」そうして生きてきたという言葉に感銘を受け、自身もまたどんなときも“挑戦”を選ぶようにしている。取り組みとして“3年ごとに会社を成長させる”といった力強い方針を示した。

『縁』がつながることで生まれたターニングポイント

サロン1号店は順調に売上を伸ばし、店舗拡大を構想していたある日、さらなる“縁”のつながりが未来を変えるターニングポイントを引き寄せた。
「店舗を探していたら、隣のビルのライバルサロンが撤退することを知り挨拶に伺いました。すると“山﨑さんになら、お店を無償で渡しますよ”とちょうど良いタイミングで譲り受けることになったんです」
こうして1号店は20坪の店舗に拡大移転を果たした。さらに旧1号店は、手荒れに悩んでいた女性スタッフのために『レディースシェービングエステBELLSHAVE(ベルシェーブ)』へと業態変更。なんとこちらも女性スタッフとの縁から偶発的にリニューアルしたサロンが大好評となり、ホームページの求人は予想以上に休眠理容師女子の反響を呼ぶことに。売上も好調で社会保険加入のきっかけとなった。会社は軌道に乗りはじめ、念願の美容室を出店するチャンスを得たところで、ヘアサロン『LUCIDE STYLE plus』を新たにオープン。一般的な“床屋”のイメージを変えるべく、当時関東に少なかった『LUCID STYLE』ブランドに着目しテナント探しに奔走。しかし空きはなく、諦められない胸の内を客に話したところ、またまた偶然にも「知り合いのお店が撤退予定だから紹介するよ」とナイスタイミングで新店舗が決定したのだという。
縁と縁が輪になってつながることで自然とWin-Winな関係が成立し、サロンをはじめとした地域社会全体が幸せになれる空間をつくってきた㈲サンワイズ。山﨑代表は、“いろんな縁がつながって今の自分があります”と語った。

売上約120%アップ!メンズ特有のケアメニューが大好評

千葉県初のマンダム『LUCIDO STYLE』では、40代女性の悩みに応えるメニューや、男性特有のアイロンメニュー、ケアメニューに力を入れ、好評を得ている。昨今のコロナ禍においても約120%売上がアップ。スタッフの懸命な努力の結果、好調な水準を保っている。
毎年、スタッフが一丸となって作成しているという2022年のスローガンは『お客様のベストパートナー。仲間と共に認め合い、常に成長!向上!!絶好調!!!』だ。目的意識を共有することにより一体感が生まれ、よりいっそう地域を元気にしていけるエネルギーを生み出している。
「事故でケガをし、仕事をすることが困難な時期がありましたが、自分が動けない状態でもスタッフは自主的に目標を設定し挑戦に取り組み、設立した事務所も問題なく回っていて、会社としての成長を実感できました。人と人が関わり助け合いその“縁”を地域全体につないでいく。自分がいなくても自然と動いていくその“人と縁のサイクル”こそが財産であると感じています」
変化を余儀なくされるこの時代に対応すべく、㈲サンワイズは今後もメンズサロン市場の変革と美容室のトータルビューティサロン化へ挑むなど、日々さらなる進化を続けている。

 

『美でつなぐ、人に笑顔を』新しい時代に新しい価値観を創造する

㈲サンワイズの新しい経営理念は『美でつなぐ、人に笑顔を』だ。
コロナ禍の影響で加速度的に変化する社会情勢に寄り添った新しい価値観を掲げた。
「美の追求」「新しい価値観の創造」「豊かな未来」をメインコンセプトに、スタッフとは“美しさを追求し新たな価値を生み出します。人と環境を想い笑顔で接します。自らを磨き、仲間とともに高め合い成長します”という理念を共有。
難しい言葉を使わず、誰もが自然と共感できるようなシンプルさを心がけたという。
「理念というのは、ただ掲げているだけでは意味がないんです。自分たちのなかに落とし込んで自然と体現していけるような親しみやすさが、これからの時代に受け入れられやすいのではないでしょうか」
人との“縁”を大切にする㈲サンワイズは、これからも人間の本質を見据えた新しい価値観の創造を続けていくだろう。

INTERVIEW DATA

会社名
有限会社サンワイズ
代表
山﨑 勇太郎
創業
2005年2月15日
店舗数
2店舗
スタッフ数
20名
本社所在地
千葉県四街道市鹿渡2002-10 フォーレ901
取材店舗名
LUCIDO STYLE plus
店舗所在地
千葉県四街道市大日357-14
URL
http://lucidostyle-plus.com

有限会社はやせ 取締役
株式会社ハピネス・ワン 代表取締役

廣江 秀信Hidenobu Hiroe

1970年12月10日、千葉県生まれ。『有限会社はやせ』に30年以上勤務、No.2として活躍し、2017年にフランチャイズオーナーとして『株式会社ハピネス・ワン』を設立。SPCのオリジナルブランドでもある『LUCIDO STYLE nature』を出店。現在も『有限会社はやせ』の役員を担いながら『ヘアーモード HAYASE 検見川浜店』の店長として現場に立ち、『LUCIDO STYLE』2店舗の代表として活躍している。

組織の鍵を握る『No.2』の在り方とは。郊外で好評を博すブランドサロンに迫る。

会社の『No.2』としてどう動くべきか。経営者とは違う視点が必要だった。

理美容学校を卒業後、㈲はやせに就職。同社が運営していた『ヘアーモードHAYASE千葉真砂店』に理容師として勤務。ところが19歳で入社し、約4年でなんと店長に。当時の理容師は床屋家業を継承することが多く、相次いでスタッフの退職が重なったことで、23歳の廣江代表に白羽の矢が立ったのだ。それから10年後、社内で最も大きな店舗『ヘアーモードHAYASE検見川浜店』にて、新人の頃から教育を受けていた店長が逝去したことを機に、その技術や教育を引き継ぐべく同店に異動し店長に就任した。
「若いうちから店長を勤めたことで、大変ながら色々な経験をさせていただきました。『ヘアーモードHAYASE検見川浜店』の店長を引き継ぎ実質的な会社のNo.2の立場を任されたとき、“どう動くべきか”とこれまで以上に葛藤し成長の必要性を感じました」

経営者交流はケミストリーのような相乗効果がおこる場所

『ヘアーモードHAYASE検見川浜店』で店長を勤めることとなった折に、もともと会員であった早瀬代表をきっかけとしてSPCに入会。
「当初は衝撃的でした。先輩経営者たちと環境がとてもエネルギッシュで刺激をもらい、自分なりに“No.2”としての立ち居振る舞いを考えました。たとえば自分のこだわりや価値観を抑え、サロン主体で考えながらその上で結果を出すことや、いかにして会社を支えていくかというところです。サロンでは教わらない具体的なノウハウを勉強する場所があるということがありがたかったですね」
他の経営者を通して会社を俯瞰で見ることで、以前と同じ言葉を言われた場合でも違う解釈が生まれ成長を実感できるという。経営者交流は、人や現場、新しい何かと出会うことでケミストリーのような相乗効果がおこる場所だと語った。

見学がきっかけで新サロンを開業。2足のわらじを履く経営者に。

はじめは準会員として会議に参加し、先輩経営者たちと交流を図るなど知見を広げたが、回を重ねるごとにある疑問にぶつかった。
「あくまでも会社のNo.2として参加していたため、実際の経営者の方と話をするたびに、“自分はリスクを負わない立場”という保守的なポジションであることを思い知らされ、このままでいいのだろうかという葛藤を抱いていました」
“No.2”とは、いわば代表の右腕であり会社を縁の下で支える重要な役割を担う。しかし、経営についての学びを深めるほど独立心が募り、ヘアサロン『LUCIDO STYLE』を見学したときにはすでに水を得た魚のごとく直感的に出店を構想したという。
「それから早瀬代表にもお力添えをいただいて、フランチャイズで『LUCIDO STYLE nature』を開業し正会員になりました。実際に経営者と交流を図り、様々な現場を見学することで自分の潜在能力が引き出された結果だと思います。“経営者”としての経験があれば、No.2としての動き方も自ずと見えてきましたね」
偶然か必然か、早い段階から責任のあるポジションを任され続けたことで経営者としての才覚を発揮した廣江代表はフランチャイズオーナーとして2017年に起業。2足のわらじを履くこととなった。

『No.2』が影響力を持つ会社は伸びる!逆転の発想がターニングポイント

通常、会社の代表が社員を先導するというのが一般的であるが、実体験から“No.2”という存在が活躍し経営者に影響を与えることで会社の伸びしろは何倍にも増えるのではないか、という思考に到達したときターニングポイントが訪れた。
「“もっとこうしたい”という意欲と行動に移せる能力をもって、“No.2”はただ支えるだけでなく時には力強く引っ張って、逆に経営者に影響を与えるくらいの存在でなければ事業拡大は難しいのではないかと実感しました」
こうして、㈲はやせで運営に行き詰まっていた2店舗を併合し、自社である㈱ハピネス・ワンより『LUCIDO STYLE』2店舗目としてリニューアル出店を果たしサロンは息を吹き返した。
「1店舗目を出店した当初は苦労もありましたが、こういったかたちで2店舗目を展開でき、No.2にも自由に活躍するチャンスを与えてくれたからこそ軌道に乗せることができたので、早瀬代表には感謝しています」
廣江代表がNo.2として経営に参画、手腕を発揮したことで㈲はやせの将来性は広がりを見せることとなった。

郊外にブランドサロンを出店。たしかな実績とノウハウがある。

『LUCIDO STYLE』では、他店にはない独自のスタイルをブランディングし常に新しいものを取り入れ開発していくオリジナルのブランド力を重視している。
「たとえば、人気メニューの“ヒートスタイルカール”ってありますよね、スタッフからも施術の話を聞くのですが、そこで一度考えてみるんです。では、『LUCIDO STYLE』ならではの“ヒートスタイルカール”とは何か、と。他店のマネをするのではなく、自店にしかない独自の価値を生み出すやり方こそが『LUCIDO STYLE』ではないかと考えています」
流行に乗るのではなく、自らが流行を作り出す“自分たちでブランドを作っていく”という姿勢こそが当サロンのスタイルであり強みだ。
構築したブランド力と時代に合わせた柔軟なブランディングで郊外でも続々と出店を果たすなど、サロンは好評を博している。

 

組織の鍵を握る『No.2』の育て方

そもそもはじめに廣江代表をSPCに参加させた早瀬代表の判断には勇気が必要だったのではないかと話す。
「通常、経営者は社員を外に出すことを敬遠すると思うんです。しかし早瀬代表はあえてNo.2である自分に力をつけさせるという判断をした。必ず自社に還元してくれるという信頼関係がなければ成立しないことです」
社内で囲うのではなく、思い切って社外へ学ばせた早瀬代表の勇敢な背中を見て、現在はNo.2という立場だからこそわかること、経営者とは違った視点からスタッフの育成を思索している。
「組織の将来性を左右するのは“No.2”の力量です。よりレベルの高い経営学を身につけるためにSPCを活用するのも良いと思います。今後は、代表である自分に影響を与えてくれるようなNo.2を育てていくことが目標ですね」
異なる立場と視点を併せ持つハイブリットな廣江代表は現在も、㈲はやせの役員を担いながら『ヘアーモード HAYASE検見川浜店』の店長として現場に立ち、『LUCIDO STYLE』2店舗の代表として活躍している。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社ハピネス・ワン
代表
廣江 秀信
創業
2017年10月1日
店舗数
2店舗
スタッフ数
20名
本社所在地
千葉県千葉市美浜区真砂3-28-2-1010
取材店舗名
LUCIDO STYLE nature.to
店舗所在地
千葉県千葉市若葉区千城台北3丁目21-1 イコアス千城台2F
URL
https://natureto.lucido-style.net

株式会社NEO

兼古 卓弥Takuya Kaneko

1973年10月7日、東京都生まれ。1971年5月25日、葛飾区四ツ木にて先代が『カネコ理容室』を創業。2004年に2代目として事業継承し、2008年3月『株式会社NEO』を起業し独立を果たす。現在は東京都墨田区で理美容サロン『NEO Hair』3店舗と『BARBER-BAR八広』1店舗を運営。ブランディング力を活かし、社員数100名の100年企業を目指している。

家業から事業へ。課題を『見える化』し目標達成!経営者がハサミを置く意義とは。

技術者兼経営責任者から経営者へ。その転身と苦悩。

理美容学校を卒業し技術者として修行を積んだ後、先代が運営する『カネコ理容室』へ戻り尽力。コンテストでは受賞経験多数、女性ファッション雑誌のモデルやタレントのヘアスタイリストを担当するなど実力派として頭角を現していた。しかし、事業拡大を構想するうえで避けられない課題“スタッフ育成”の壁にぶつかる。
「当時、技術者として自分の腕と成長を自負していましたが、一方でスタッフを雇用しても“育てる”という点にとても苦労していました。そのとき、まだまだ経営者としては未熟な自分自身を変えたいと悩んでいましたね」
その後、コンテスターとしての経歴にピリオドを打ち、経営の勉強に本腰を入れることに。

“将来的にどうなりたいか”というコーチングがきっかけで入会

経営していた理容室は小規模ながら安定的に利益を上げていたが、店舗展開の目標達成を重視し勉強の機会を探っていた。そんな折り、知り合いの先輩経営者との話のなかでSPCを勧められたことがきっかけとなりコーチングのセミナーに参加。(“コーチング”とは、対話のなかで観察や質問を投げかけながら提案などをして相手の内面にある答えを引き出す目標達成の手法)
「技術以外の講習会ははじめてでしたが、参加していたとあるサロンの店長に“将来的にどうなりたいか”ということをコーチングで聞き出され、店舗を広げたい、スタッフを増やしたいと伝えると“兼古さん、白衣脱ぎましょう!”と言われて驚きました。オーナーでもないイチスタッフがすでに“経営者”の思考を持っていたんです」
会員の経営学レベルの高さを目の当たりにし、これまでのSPCへの印象が大きく変化。この体験が決め手となり、入会に至ったという。普段は出会えない価値観や自分と違う意見を持つ方々と交流ができる点がSPCの魅力のひとつだ。

年商1億円を売り上げるには?逆算で課題を明確化し目標達成!

先輩経営者からは“個人事業”と“企業”の違いを教わり、“店を大きくしたいなら会社を起業しなさい”とのアドバイスを受け、2008年に『㈱NEO』を立ち上げた。
「企業の社長を勤めるなら最低でも年商1億円は上げないとダメだと言われ、先輩経営者たちからアドバイスをもらいました。年商1億円だと月商で850万円必要で、3店舗でやるなら250~300万円ずつ、ワンスタで考えたら50万円、スタッフ数は17名が適正だろうという逆算で課題をひとつずつクリアにしながら大きな目標に挑みました」
目標年商から逆算し課題を明確化することで、スタッフの士気と効率を上げ見事に売上1億円という目標を達成、会社は急成長を遂げた。

また、企業には“どこを目指すか”という理念が必須だという先輩経営者の意見から自社の方向性を考案。
「『㈱NEO』では、“3WIN(トリプルウィン)”というキーワードを大切にしています。「お客様の満足」「従業員の幸せ」「会社の利益」の3つを同時に叶えられる会社になろうと。物事の判断に迷ったときの基準はいつも“3WIN”です」
企業理念が定まり、目的意識をサロン全体で共有することで、価格設定や新メニュー導入、スタッフ育成などに際してスタッフに迷いがなくなり働きやすさが向上、会社が目に見えて変わり始めたという。
「“ダイヤモンドはダイヤモンドにしか磨けない”という言葉は本当だと思います。経営者交流の良いところは上下関係でなく“仲間同士”で磨き合えること。モデルケースの宝庫であり見学もさせてくれるので、圧倒的に事業展開が早くなりましたね」
理念が原動力に変わり経営方針にブレがなくなったことが大きな変革だったと語った。

スタッフよりまず自分が変わる。『明るく、元気で、素直』の思考転換がターニングポイント

スタッフ育成に悩んでいた当時、とある先輩経営者から酒席に誘われ「経営者なら、常に2~3個バッグに質問を入れて持ち歩け。真剣に経営していたら悩みがあるはずだ」との粋な計らいを受けて、スタッフに元気がないことを相談。すると「それは暗病反(アンビョウタン)だ。暗くて病的で反発的。スタッフは反対の明元素(メイゲンソ)、明るく元気で素直でなければいけないよ」との指南を受けハッと気がついた。そもそも自分は人が集まってくるような明るく元気で素直な人間であったかと。そして、有名な言葉が浮かんだ。“問うてみる。自分という師がいたなら、自分はついて行くだろうか”
このとき、人を変えるより“この人について行きたい”と思われる自分自身を俯瞰で捉え、そう振る舞うことが重要なのだという思考の転換が訪れた。
社長である自身が常に明るく接することで、サロンにも変化が見え、徐々にスタッフ間の連携や一体感が増し定着率がアップ。スタッフは自身を映す鏡であることを実感した。
「相手に求めるよりもまず、自分が明るく元気で素直に振る舞い、安心感を与えることを常に心がけています。“明元素”を酒席で教わってからずっとモットーにしているのでもはや肝臓に感謝ですね(笑)」

組織を明確にするブランディングを導入。目的意識を共有し“ビジョンの見える化”を実施。

『㈱NEO』では、ブランディングに力を入れ、スタッフがそれぞれの役割を理解することで主体性を育てるという体制を整えている。
「トップダウンでは行き詰まるため、スタッフの能力を集結させる必要があると考え、目的意識を共有するために“ビジョンの見える化”を図っています」
年末年始には全体の目標を定め、各店舗の目標、達成のために取るべき行動を模造紙に書き出し「一花五葉シート」を作成。達成部分には花を貼るなどの工夫をし、事務所に貼り出すことで誰が見ても進捗を共有できる仕組みになっている。
“新しいことをどんどん提案し、また新しい自分に生まれ変われる会社”という意味が込められた『NEO』。先代から受け継ぎ培ってきた土台を守りながらも、柔軟にチャレンジし続ける姿勢はまるで“温故知新”だ。兼古代表にとって名は体を表すとはまさにこのことだろう。
昨年50周年を迎えた『㈱NEO』は、ますます発展の兆しを見せ、社員数100人の100年企業になることが今後の展望だ。

 

40歳を機に経営に専念。技術者がハサミを置く意義とは。

サロン4店舗を出店し売上1億円を達成した後、40歳を機に兼古代表はハサミを置いた。
「横山創設理事に“いつまでも自分が偉大でいるな、偉大な人を作りなさい”と諭されました。ハサミを持つ限りいつまでも“現場の王様”のままであり、私の腕を超えるような実力のあるスタッフはやがて店を卒業してしまうんです。サロン全体の将来性を考えると、技術者中心の働き方から経営に専念することが最適解でした」
技術者として第一線を退き、今度は経営者として人を育てる方向へ徐々にシフト。材料の発注や新人教育など権限を社員へ移譲したことでスタッフに責任感と自主性が芽生え、定着率も向上。サロン全体が持続的な成長を見せた。
「現場を卒業する最後の日にずっとコンテストでモデルをしてくれた子が“最後のお客さんになりたい”と来店してくれました。自分の断髪式もしてハサミを全部そのお客様にあげちゃいました。私なりの決意証明です」
ハサミを置いたことで、経営者として新たなステージへと突入。人のために動き自分の器と視野を広げることが大事だと話す兼古代表の挑戦はこれからも続くだろう。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社NEO
代表
兼古 卓弥
創業
1971年5月
店舗数
4店舗
スタッフ数
27名
本社所在地
〒131-0041 東京都墨田区八広6-2-12
取材店舗名
NEO HAIR東武曳舟店
店舗所在地
〒131-0032 東京都墨田区東向島2-13-11-1F
URL
http://www.neohair.net