株式会社横浜ハーベスト

松薗 芳子Yoshiko Matsuzono

鹿児島県生まれ。1976年29歳で通信制美容学校にて美容師免許を取得。1980年10月、株式会社横浜ハーベストを設立、鎌倉市にて開業し33歳で独立。現在はドミナント戦略として横浜市内を中心に14店舗を運営。所有する3棟のビルを社員のためにフル活用し、「家族ぐるみで一生一緒に働ける会社」をモットーに成長を続けている。

女手ひとつで独立起業。時代を切り拓いた独自の哲学と『4班制』システムを紐解く

29歳、女手ひとつで独立起業。女性の社会進出が少ない時代を切り拓いた戦略

1976年、シングルマザーになったことがきっかけとなり、29歳で免許を取得し専業主婦から美容師へ転身。パートからスタートするも、すぐに持ち前のビジネスセンスを発揮。自ら考案した、美容室を組織として機能させる仕組み『4班制』※1を実践し成果をあげた結果、当時の社長(横山室長)に認められ、社員から店長へとスピード昇格。4年後の1980年には『㈱横浜ハーベスト』を設立、鎌倉市にて開業し、33歳で独立を果たした。
『4班制』の導入と横浜市内を中心に出店を図るドミナント戦略、そして日本の社会情勢が活況に溢れはじめた時代の追い風を受けながら、会社は急成長を遂げた。
「ある時、専業主婦のままこの生活を続けていたら“何を成し得るだろうか”と思い立ち、夫婦それぞれの道を歩むことを決意しました。女手ひとつでビジネスの世界へ飛び込むのは並大抵の苦労では済まないことですが、子どもたちのためにも“美容室の経営者になるんだ”という強い覚悟が自分をここまで連れて来たんだと確信しています」
※1『4班制』詳細は後述

誰が抜けてもサロンが回る『組織づくり』を実現

29歳で子供2人を連れ、出身地鹿児島から兄を頼り横須賀へ出てすぐに職探しを始めると、『ヨシユキ美容室 衣笠店』のリーフレットを手にしたことがきっかけで面接を受け入社。これがSPCグループ創業者である横山義幸室長との出会いだ。
「SPCに入会して40年になりますが、室長が経営する美容室に入社してからずいぶん鍛えられました。“松薗さんは小柄なんだから人の3倍働いて、人の3倍考えて、人の3倍発言しなさい”と指南を受け試行錯誤したり、1年目はなかなか売上が上がらず、そこから“組織づくり”を考えるようになりました」
土地柄もあり保護観察処分を受けた青少年を採用するようになると口コミなどで続々と集り、一時は不良少年を更生させる美容室状態になっていたという。
「やんちゃな子たちをたくさん採用しましたが、お客様は来店しているのにスタッフが誰も来ない日もあって、新人育成の難しさを学びました。そこからますます美容室を組織化する取り組みに力を入れていきました」
独立した後は、“10店舗100人の会社づくり”を目標に、トップがいなくてもサロンが回る仕組み『4班制』という画期的なシステムを考案。全国のSPC会員サロンにも導入されることに。
「『4班制』が導入された直後は、全国で店長が次々と辞める事態が発生し、地方のサロンへ伝導にも行きましたが、室長の“辞めてもいい。弱い人より強い人を育てないと意味がない”という言葉に納得し、そのまま『4班制』を続行しました。すると、ほとんどのサロンはクオリティと売上の劇的な向上を実現させたんです」
現在、『4班制』は確実な成果をあげると評価され、全国のサロンへ普及している。

美容室を『組織』として機能させる仕組み『4班制』とは

『4班制』とは、すべてのスタッフを4つの班に分け、重要な仕事を割り振って個々に役割を持たせるシステム。
①『動員班』(attac is money)客の動員のためチラシを配ったり、SNSで集客をかける役割。
②『接客班』(smile is money)技術とサービスで客をもてなす役割。
③『教育班』(time is money)美容技術の向上を図る役割。
④『材料班』(save is money)必要な材料を調達する役割。
新人は適性を見たうえで4班のいずれかに配属、各サロンの店長も4つの班に分かれ、店長会議にて班ごとに向上を図っている。新人のうちから役割を与えることで、1人ひとりの責任感や自覚を養うことができ、スタッフの定着率やサロンのクオリティアップに絶大な効果をあげている。
「『4班制』は新幹線と同じ理論です。昔の機関車の動力はひとつだけでしたが、新幹線は何箇所にも動力がある。つまり4班すべてにエンジンを搭載することで、何があっても稼働し続けることが可能です。たとえば、店長が急に休んでも社長が長期不在でも、問題なくサロンが回ることで売上を上げ続けることができる。ひとつの動力では300万円の売上も、新幹線なら1000万円を達成できる。そうすれば1億円さえも現実的になります」
このシステムの原型は三者の幸福、「お客様」「スタッフ」「会社」の三位一体。すべての行動に理論付けをし”現場でどう実践するか”を思考展開することがビジネスの肝だと話した。

人生の恩師『横山室長』との出会いがターニングポイント

“室長はカリスマです”と話す松薗代表の人生を大きく変えたのは、専業主婦が安定を手放し経営者へとその才能を開花させるきっかけを与えた横山室長との出会いだった。
「“認識・方法・成果の三角形を回さないと結果は伴わない”という室長の哲学が私を変えました。会議などで愚痴が出れば、その問題(認識)に対してじゃあどうするか?(方法)を考えて解決する(成果)、この理論を取り入れることでサロン全体の意識も変わりましたね」
横山室長の人とは違う鋭い視点と哲学的思考は多くの経営者たちに影響を与えたという。
「室長は“正しいこと”を言わないんです。善悪やポジションで物事を決めつける固定概念がない。その代わり“面白いこと”を重視します。たとえば、誰かが喧嘩をしても止めず“良いね、元気があって”と積極的に促したり、紙に書いた無味乾燥なつまらない話より、生活の中に溶け込んでいる生きた哲学をもっとも大事にしていました」
座右の銘は「打ち叩かれてもしぶとく振る舞え。静寂の奥に知性を求め、手探りで生きる」。松薗代表がこれに“手探りで生きる”より“確信を持って生きる”方がよっぽど潔いと意見を述べたところ、素直に受け入れ座右の銘を書き換えたという逸話がある。業界のパイオニアとして君臨しながらも良いと思った意見は柔軟に取り入れる真摯な姿勢が、やはり横山室長が“カリスマ”と呼ばれる所以なのだと語った。

経営者としての成長は『仲間』あってこそ

1人の美容師が全国のサロンと交流を図ることは通常不可能だ。それが組織として全国展開し繋がっていることで日本全国に同業の仲間がいくらでもできる。そこには狭い視野で孤独経営をしていては見えない景色が広がっている。
「会議のために毎週経営者がお店から抜けることを懸念される方もいるのですが、スタッフに責任を任せることで自然と人は育ちますよ。座学で理論だけ聞いても駄目で、FCがしたいならFCで成功している人に実際に話を聞くことが肝心です。全国どこへ行っても様々な経営者たちと交流ができる環境は大きなメリットです。SPCの加入に悩んでいる方がいたら、私はこう言います。“明日辞めてもいいから入るって言ってみて”と。経営者は決断をしないと何も始まらないんです」

『家族』ぐるみで一生一緒に働ける会社

㈱横浜ハーベストでは、“家族ぐるみで一生一緒に働ける会社”をモットーにスタッフの生活をより豊かにするための経営方針を掲げている。スタッフの給料やボーナスを開示し“なぜこの人はこんなにもらえるのか”を数値で可視化。接客では、客の悩みを聞きだし次回予約に繋がるように“パーマで髪にボリュームをだしませんか?”などの解決メニューを提案しビジネスに変える心理学的アプローチを指導。スタッフの能力ややりがいを引き出すバランスの取れた社風づくりを徹底している。また、所有する3棟のビルをスタッフのためにフル活用し社員寮を完備、ガラス張りの本店ビル3Fには松薗代表自身がクリスチャンということもありプロテスタント教会を設立。スタッフの結婚式も幾度となく挙げてきたという。美容師同士の結婚は互いの仕事に理解があり周囲の協力も得えやすいため、会社として社内結婚を推奨、支援に取り組んでいる。
「結婚後はマンションの購入も勧めています。夫婦で持つと安定した生活基盤を共有できますし、長く働く糧にもなります。中小企業ならではの親しみやすさもあってか、みんな自分の兄弟や子供を当社に入れてくれるんです。そんな家族ぐるみで付き合える全員がファミリーのような会社でありたいと思っています」
女性の社会進出が始まってもいない時代を論理的思考でたくましく切り拓いてきた松薗代表。先駆者である一方で、児童養護施設のボランティアカットや小中学校の職業体験教育への参加、SDGsなど社会問題への取り組みもメディアが取り上げるずっと以前から継続して行っている。時代を見据えた活動で会社を急成長させ、スタッフからは家族のように慕われる松薗代表もまた、“カリスマ経営者”そのものだ。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社横浜ハーベスト
代表
松薗 芳子
創業
1980年10月1日
店舗数
14店舗
スタッフ数
150名
本社所在地
神奈川県横浜市中区弥生町4-36-2横浜ハーベストビル4F
取材店舗名
VAN COUNCIL 伊勢佐木町店
店舗所在地
神奈川県横浜市中区曙町 4-58-1 Y.HARVEST 1F
URL
https://y-harvest.co.jp

株式会社Cube

馬場 吉孝Baba Yoshitaka

1976年8月25日、愛知県岡崎市生まれ。理容美容専門学校を卒業後、理容室で6年間、美容室で3年間の修行を積み、実家の理容室『モモタローヘアーハウス』に就職。理容・美容のWライセンスを武器にキャリアを重ね、2013年に独立創業。現在は、愛知県岡崎市内で3店舗『HAIR MAKE Cube 岡崎井田店』『LUCIDO STYLE Cube 岡崎百々西店』『髪質改善 arms cube』を運営している。

理容・美容のWライセンスで実家の理容室を継承!
成功と挫折と気づきから“大家族主義”へ

“Wライセンス”を武器に、実家の理容室をリニューアル!

実家が営む愛知県岡崎市の理容室『モモタローヘアーハウス』の2代目として、高校卒業後に目指したのはもちろん理容師の道。地元の理容専門学校を卒業後、東海市の理容室で6年間修行し、さらに3年間美容室で修行した。「その頃『ビューティフルライフ』というドラマが流行っていて、ミーハーではありますが美容師にも興味が出てきたので、通信で美容師免許を取得したんです」
その後、実家の理容室へ就職。理容・美容のWライセンスを武器に理容所・美容所の両登録を行い、店名を『Cube(キューブ)』に変更。店舗を改装して、女性客の獲得を狙った。「6年間の理容室勤務の経験から、平日昼間はお客様が少ないことは分かっていました。会社勤めの男性は、土日もしくは平日夕方以降の予約がほとんど。なので、専業主婦や高齢女性なら平日の日中に来てくださるのでは、と考えました」

女性客獲得のため、大胆な“半額チケット作戦”を決行!

しかし、元々が地元密着型の正統派理容室だ。何もせずに女性客が来てくれるはずもなく、閑古鳥が鳴いている美容ブースを眺めてはため息をつく毎日。そこで、ある大胆な作戦を決行した。「女性が使える半額チケットを常連のお客様に配って、奥様や知り合いの女性を紹介していただきました」
すべてのメニューが半額というインパクトもあり、女性のお客様が殺到。「店舗の改装時にセット面を5席から8席に増やしていたのですが、当時は父と母と私の3人で回していたので急に人手が足りなくなってしまって。美容師の友人に声をかけて、お店に入ってもらうことにしました」
スタッフを雇うことになり、初めて給与の問題に直面。お客様は増えたものの、半額チケットの影響が大きく、まだまだ売上を支えるリピーターの獲得には至っていなかった。「家族経営なので、給与はどんぶり勘定なところがありました。僕自身、実家暮らしで金銭面でも親に頼っていた部分が大きく、給与としてもらっている金額に不満はありませんでした。ただ、こちらから誘ったスタッフに対しては給与面でしっかり応えなければと思い、店舗展開も視野に入れてあるセミナーに参加したんです」

SPCに入会後、売上拡大で“念願の2店舗目”オープン!

セミナーで近くに座っていた経営者の方が、あるSPC会員と知り合いだった。「店舗展開について詳しい話が聞けるということで、三重県のSPC会員さんを紹介していただき、すぐにSPCへ入会しました。タイミングってあるんですね」
SPC会員として第2・第4月曜日のメディア会議に出席するようになり、アドバイスを受けて新規顧客獲得のためのチラシ制作に着手。「実は、最初に作ったチラシは失敗に終わりました。制作に25万、配布に25万、計50万もかけて来てくれたお客様はたったの8人。失敗の原因は、僕がSPCが教えてくれた通りにやらなかったこと。『カット&カラーのセット料金はできるだけ下げた方がいいよ』と言われていたのに、欲張って高めの設定にしてしまった」
SPCのアドバイスを素直に受け入れるようになってから、なんと売上はうなぎのぼり。2013年に法人化し、その後、2店舗目となる『LUCIDO STYLE Cube 岡崎百々西店』をオープン。集客に成功し、2年後には売上1,000万を達成。

『LUCIDO STYLE』の成功体験がターニングポイント!

さらに、3店舗目となる『髪質改善 arms cube』をオープンさせるが、客足が伸びず赤字が続いた。「2店舗目の成功体験があったので、箱さえあれば大丈夫だと軽く考えてしまったのです。単価を低く設定していたので、数をこなすことで売上を上げていくしかなく、スタッフも疲弊してどんどん辞めていきました」
SPCに相談したところ、スタッフとの関わり方や教育についてアドバイスを受けた。「確かに、3店舗目は他の者に運営を任せっきりにしてしまって、スタッフとのコミュニケーションや教育を怠っていました。恥ずかしながら、SPCに指摘されてからスタッフとコミュニケーションをとるようになったんです。今思えば、『LUCIDO STYLE』はSPCブランドサロンとしてスタッフ教育がしっかりしていたし、求人も集客も元々のノウハウがあったので、最初からすばらしい人材が揃っていましたね」
その後、『髪質改善 arms cube』でもスタッフ教育に力を入れ、勤務体制や給与面、福利厚生なども少しずつ改善。店舗の売上は右肩上がりになり、スタッフの定着率も上がった。

節目にこだわるSPCイズムで、社内イベントを次々企画!

結果的に、『LUCIDO STYLE』というSPCブランドを取り入れることで、経営者としての考え方ががらりと変わった。「初めてキービジュアル撮影や海外フォトシュート研修に参加した時は、美容室でもこんなことができるんだと目から鱗でした。心踊る空間に身を置くことで、スタッフのモチベーションも上がりますから」
さらに、定例の全国フォーラムや決起大会にも積極的に参加することで、経営者同士のつながり、事業の広がりを実感している。節目にこだわるSPCのスタンスに共感し、自社でも50周年パーティーや入社式、新人歓迎会、ビアガーデン、社員旅行など、季節のイベントを行うようになった。「楽しいイベントは企画の段階もワクワクしますし、スタッフとの距離も縮まりますし、みんなのプラスになりますよね。弊社のアットホームな社風は、スタッフ同士が交流する機会が多いからではないでしょうか」

最高の接客・最高の技術で、お客様に喜んでもらいたい!

SPCと出会ったことで、美容師には何よりも“人間力・接客力”が必要だと気がついた。「お客様に最高の接客をして最高の技術を提供して、喜んでいただくことが私たちの最大の喜びです。人間力・接客力を磨くために、スタッフ同士が常にコミュニケーションを取り合い、家族のような信頼関係を築いています」
街の小さな理容室『モモタローヘアーハウス』は、長い年月を経て、深い愛情と思いやりにあふれた美容室グループに成長。“大家族主義”を体現している『Cube』の躍進は、とどまることを知らない。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社Cube
代表
馬場 吉孝
創業
2013年7月
店舗数
3店舗
スタッフ数
52名
本社所在地
〒444-0076 愛知県岡崎市井田町字南16-3
取材店舗名
店舗所在地
URL
https://www.momo-cube.com

株式会社モア

菱木 友美Hishiki Tomomi 

1987年12月20日、千葉県生まれ。学業修了後はアパレル、事務職を経てエステに通った自身の体験を機に痩身エステに興味を持ちエステ業界に転身。2014年に『株式会社モア』を設立し『痩身デトックスサロン ベルチェ千葉店』を開業。現在は千葉県内に『痩身デトックスサロン ベルチェ千葉店』『痩身デトックスサロン ベルチェ市川本八幡店』の2店舗を運営している。

『痩身専門エステ』でお客様とスタッフと共に、女性の躍進と可能性を実現へ導く。

他業種からエステティシャンに転身、3年でスピード開業

事務職に就いていた20代当時、体型が変わったショックからエステに通い始めたところ、13kgという大幅な減量に成功。自信がつくことで気持ちまで明るくなり、周囲にも影響を与えるほど毎日が楽しく変化していくことを実感、まるで人生を変えるような体験を実現できるエステの魅力に惹かれ、他業種から大手エステサロンに転身入社。その後、約1年でチーフを経て店長に就任し、たしかな腕とビジネスセンスを発揮した。当初こそ独立心はなかったが、現在本店のある物件の空きを見た際に、自身の力でチャレンジしてみたい、という意欲が高まり、入社から3年後、2名のスタッフと共に『痩身デトックスサロン ベルチェ市川本八幡店』を開業した。
「客としてエステに通い気付いたことですが、女性は年配になっても”綺麗になりたい”という欲求をずっと追い続けています。その姿勢こそが美しいと感じて、女性が生涯輝き続けられるサポートができるエステティシャンという仕事にやり甲斐と無限の可能性を感じて、独立を決意しました」

失敗例もオープンに共有しリスク回避

『痩身専門エステサロン』という独特のビジネスモデルのため相談できる人は少なく、2店舗目を出店したものの経営について多くの課題を抱えていたある日、偶然入店したヘアサロンの美容師から、サロン運営の悩みを相談できる場があると教えてもらったことがきっかけで、SPCに入会した。
「経営者交流の場に行き始めてから、経営者としての器量は一人では計ることができないことを学びましたね。何より成功例だけでなく失敗例も共有でき、“こうならないようにしよう”という反面教師の視点からリスクを回避できる点がとても興味深かったです」
また、先輩経営者が役員選挙に立候補する際には、社長職とは異なる別の高みを目指すため、より訴求力のある言葉選びや情熱的に挑む姿勢を直接学ぶ機会があり、経営学だけでなく上に立つ者の“器”を養える貴重な場でもあると話した。

あらゆる業態の経営者と交流できる場所

その後、正会員となった菱木代表は、現在千葉県のビューティーリーダーを務め、月に1度求人や集客などに関する近況報告や悩み・課題を共有する会議を行っている。エステ同業者は少ないものの、他業態の経営者から得られる気づきも多いという。
「いろんな業態の方がいらっしゃるので、入りやすかったですね。財務管理やスタッフとの関係性など、業態に関わらず参考にさせていただいています。経営者は現場に出ない方が良いというアドバイスをよく受けるのですが、ビューティーは現場で学びながらスタッフと一緒に成長していく部分が大きいので、今は学びながら経営者としての器を作りあげている段階です」

さらに、経営者交流は、経営者としてのモチベーションを常に高められる場所だと話す。
「様々な事情で会議に出席することを先送りにしていると、たちまち視野が狭くなり成長が止まるんです。経営者同士の意見に触れることで新しい考え方やパワーをもらえるので、“あれもこれもやらないと”から“絶対にやろう”という意欲が向上するんです。私にとって、まだ知らない気づきを得られ、背中を強く押していただける大切な場所です」
孤独になりがちな経営の道だが、常に新たな刺激を得られる環境があることが大きな支えとなっている。

『痩身専門エステ』を起業したことがターニングポイント

自身の減量体験をきっかけにエステティシャンに転身、トータルビューティーサロンが主流だった時代にひとつの分野に特化した『痩身デトックスサロン ベルチェ』を開業したことで菱木代表の人生は大きなターニングポイントを迎えた。
単に施術をするだけではなく、客の悩みに寄り添い内面から体質改善することで気持ちも人生も明るく変えていけるビジネスに大きな可能性を感じたという。
「なんでもやります、という考え方では方向性が分散してしまいます。やはり100%を1本でやり通した方が真剣に悩まれている方を集客できると考え、当時まだ少なかった『痩身専門エステサロン』という業態に挑戦したんです。私自身がそうであったように、エステは気持ちも人生も明るい方向へ導くことができるきっかけづくりだと考えています。そのためのサポートをスタッフ一丸となって行ってくことをモットーに、日々真摯に“美”と向き合っています」

一人ひとりの客と親身に向き合い、女性の美を引き出すことにプロ意識を持って真剣に取り組むサロンだからこそ、目に見える結果を出し続け、安定したリピート率を獲得。体型のコンプレックスを解消できたときの喜びが客自身を変え、それが周りにも影響することで、さらに客を呼んでもらえるという好循環を実現している。

結果を出す独自の痩身デトックス施術

『痩身デトックスサロン ベルチェ』では、東洋医学を取り入れた体や内臓を温めながらの揉み出しや血流を促す独自の施術を行なっている。ただ痩せるだけでなく、体の内面から綺麗になれる根本改善に取り組み、アフターケアにも力を入れている。
「機械や手術などに頼ってただ痩せるのではなく、根本から体質改善する知識を身につけることによって、サロンに通うことをやめた後も日々の食事などで健康状態を維持することができます。知識さえあれば、お客様自身だけではなくご家族や周囲にも活かすことができるんです。健康という観点から幸せになるお手伝いがしたいという考えから、トータルビューティーではなく痩身専門サロンとして真剣にお客様と向き合っています。最初にカウンセリングしたお客様の服装が変化していったり、お化粧やマツエクをするようになったり、ヘアスタイルもこまめにメンテナンスして綺麗になられていく姿を見るのは何にも代えがたい喜びです」

強い信念と志を持って痩身ビジネスに取り組む菱木代表。現代における女性のさらなる躍進や可能性を切り拓くべく、客だけでなくスタッフ一人ひとりが活躍し結婚出産後も永く輝き続けられるような会社を目指している。

お客様とスタッフと共に女性の可能性を実現していく

菱木代表が大切にしていることのひとつが「サロンに関わる皆様に充実していただけること」。客やスタッフ、その家族まで食事など健康面のケアに気を配り、永い気持ちで寄り添えたら、という想いで共に歩み励んでいる。
誠実な信頼関係と責任感で客の自己実現やスタッフの将来を導く菱木代表のリーダーシップは、やがてエステ業界の次世代を担うことだろう。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社モア
代表
菱木 友美
創業
2014年1月6日
店舗数
2店舗
スタッフ数
8名
本社所在地
〒260-0028  千葉県千葉市中央区新町15-2 大友ビル401
取材店舗名
痩身デトックスサロン ベルチェ千葉店
店舗所在地
〒260-0028  千葉県千葉市中央区新町15-2 大友ビル401
URL
https://beauty.hotpepper.jp/

株式会社アイス

山口 敏之Toshiyuki Yamaguchi

1964年5月29日、茨城県生まれ。美容専門学校を卒業後、水戸のヘアサロンに就職。19歳で上京し1994年当時勤務していたサロンを買い取り独立。2000年7月に『株式会社アイス』を設立、本社所在地でもある赤羽を拠点とし、2005年に開業した『wisp』を皮切りに現在都内にて『VAN COUNCIL』『beep』『BARBER-BAR』『Furisode Flower』の4ブランドを運営している。

既存の概念にとらわれない発想から生まれた『美容とアートのコラボレーション』その未来を牽引するクリエイティビティに迫る。

予想外の機会に恵まれ、サロン経営者に

美容専門学校を卒業後、地元のヘアサロンに就職。その後19歳で上京。様々な場所で経験を積むなか、当時勤務していたサロン店長の紹介のもと赤羽のサロンへ転職。以降自身の拠点を赤羽とし、1994年に同サロンを買い取り独立、2000年に㈱アイスを設立し、2005年に『wisp赤羽』を開業した。
「もともとファッションや音楽などクリエイティブな分野への強い興味とこだわりがありましたので、“自分なりのヘアスタイルを表現したい”という想いから美容業界へ足を踏み入れました。当時は“経営者”になることは考えていなかったですね」
その後、赤羽にて5店舗を運営、1店舗あたり約500万円ほどの売上を立てるなど、秘められていた経営者としての手腕を発揮していく。

『組織をもっとメジャーにしたい』50歳からの使命とビジョン

美容師として活躍し始めた18歳頃からSPC会員サロンに勤務、オーナーや先輩経営者の好意で大手理容グループの研修に参加させてもらうなど、SPCとは長く関わりを持っていたという山口代表だが、意外にも入会したのは50歳を過ぎてからだという。
「40歳頃に、同業の友人から横山創設理事の勉強会に誘われたことがきっかけで室長と知り合いました。鋭い洞察力と哲学的思考で物事を見抜くセンスを持っていて、ひとりの人間としても惹かれるところがあったので、それから十数年、組織というより室長に師事していましたね。50歳頃に初めて入会のお誘いをいただいたので、室長が設立したSPCで恩返しをしたいという想いから現在に至ります」
業界の未来に向け、自ら道を切り拓いてきた“経営者”として持ちうる使命と役割とは何か。組織の固定されたイメージの一新を図るべく、ビジュアルデザインに力を入れながら若者への訴求力を高めるなど、経営学だけでなく「センスも磨ける団体」を目指している。“組織をもっとメジャーにしたい”“経営者仲間とさらに新しい価値を創造したい”そんなビジョンを持ちながら現在も活動を続ける。

業界特有の苦労や体験を共有し合える貴重な場所

㈱アイスでは『BARBER-BAR赤羽』『VAN COUNCIL王子/川口』のSPCブランドを運営。そのメリットは情報力と、1人ではできないことをみんなで実現できる体験の“共有”にあるという。
「『BARBER-BAR』はメンズサロンを手掛けたいと構想していたスタッフと趣旨が合致したことで始めました。1人でイチから出店するより、協力し合って創り上げていく体験が今後のスタッフにとって大きな糧になると思っています。『VAN COUNCIL』を2店舗展開しているのは協力し合いながら同時に競うかたちにした方がより成長と成果を得られるとの考えからです」
豊富な前例と情報をもとに、新しい挑戦体験も共有できる組織の環境にデメリットは見当たらないと話した。
また、入会して感じたことといえば“仲間のあたたかみ”だ。全国の同業経営者たちと仕事を通じて交流を図れることは何よりの励みになる。
「プライベートな友人の他に、業種特有の悩みや苦労を理解し共有してくれる仲間がいることは大変貴重に思います。私たちの根底には“一人の仲間を労(いたわ)ることをすべてとして”という理念があるのですが、先輩経営者からはよく声をかけていただき多大なお気遣いをいただいています。こうして現在トップの経営者たちが“人間力”や“仲間力”を後輩とともに育み循環することで、次の世代にも脈々と受け継がれていくと考えています」
互いを気にかけ合いながらときには酒席で想いを酌み交わすなど、数字を追うだけでは足りない自己研鑽を積める貴重な場がここにはあるのだ。

挑戦の末『利益の追求』から『スタッフファースト』へ転換したことがターニングポイント

30歳当時、北海道の有名サロンが設備など一部スペースを貸し出す美容師への業務委託が可能なサロンを銀座にオープン。そのノウハウを知人から教わったことがきっかけとなり、いわゆる“面貸し”の契約形態を自店に取り入れたことで爆発的に集客がアップ。これまでの“教育型”から“集客型”へとサロンの方針転換を図ったことで会社は軌道に乗り始めた。
無駄のない効率的な時間活用とフリーランスに慣れた能力のある美容師が活躍することで、初月から新規客約300人を獲得し、カットカラー4,720円という低単価でありながら約600万円を売り上げた。
その後、王子に2店舗、大宮、池袋、高田馬場、新宿と立て続けに出店。しかし順調ながらも自身の展望とのズレを感じ、利益を追うよりも思い入れのあるスタッフとともに成長していきたいとの想いから、さらに方針の立て直しを図った。
「やはりお金じゃないと実感しました。面貸し自体は継続していますが、せっかくなら自分のもとで育ったスタッフへ還元したいですね。この選択が今思うと大きなターニングポイントになったと思います」

振袖・袴レンタルの『Furisode Flower』をオープン!

『beep』は現在息子である大夢さんが運営。今後の動向は任せ、ゆくゆくは多店舗展開を構想している。そんななか、山口代表は新しい挑戦として振袖・袴レンタルの『Furisode Flower』を出店した。
「これまでも着付けメニューを展開していたことと、自分が日本舞踊をたしなんでいて着物に触れる機会が多いこと、そして家内が好きなこともあり、老後のチャレンジとして『Furisode Flower』を始めました。出店にあたり、関西ではレンタル事業をされている会員さんも多く心強いというのもありましたね。何より、ステップアップすることで新しい自分に出会えることが人生の喜びだと経験上感じてきましたので、息子にその姿を見せておきたいという想いがあります」
夫婦で互いに地方から上京、時流を掴んで常に一歩先へリードし続け、今では洗練されたサロンクオリティを提供、発信し続ける㈱アイス。何も知らないところから会社は創れる、誰でもチャレンジすれば形にできる、忙しい日々でも好きな仕事に出会えたから苦ではなかったという山口代表。これから美容業界を志す若者や現在ともに闘う同志へ、挑戦し続けることの価値を自社を通して伝えることができればと語った。

 

『ヘアサロン』と『アート』の可能性

運営する店舗に共通して感じるのは、山口代表の特徴でもある“クリエイティビティ”だ。『VAN COUNCIL』では内外装にアート作品を取り入れるなど、独創的な試みが伺える。
「既存の概念にとらわれない独自性を演出していきたいと常に考えています。経営学や人間力も大切ですが、“あのサロンで働いている美容師さんみんなかっこいい”と憧れられるような洗練されたセンスが加われば、裾野はもっと広がると思います」
山口代表をはじめ、スタッフのファッションセンスにも定評がある背景には、美容師を志した16歳当初から、自身が常にかっこよく在ること、好きな職業で自由に表現することという変わらない本質がある。その姿は今もなお、スタッフに影響を与え続けている。組織やヘアサロンに『アート』というアプローチを用い、ビジュアルデザインの見地から牽引する㈱アイスの未来にますます期待が膨らむばかりだ。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社アイス
代表
山口 敏之
創業
2000年7月1日
店舗数
7店舗
スタッフ数
40名
本社所在地
東京都北区赤羽西1-38-18 アドレシア206
取材店舗名
VAN COUNCIL 王子
VAN COUNCIL 川口
店舗所在地
東京都北区王子3-13-13
URL
https://iceiceice.jp