有限会社ベルファミリー

鈴木 尋子Suzuki Chikako

大学卒業後、母が経営する美容室へ入社。働きながら通信制の美容師専門学校へ通い、美容師免許を取得。30歳でイタリアへ留学し、帰国後に新店舗をオープンさせる。2011年、イタリア人男性と結婚。ミラノ店のオープンと同時に、イタリアへ移住。コロナ禍に帰国し、統括マネージャーとして人事・教育・集客・接客とあらゆる領域で精力的に活動している。現在、国内13店舗・海外2店舗でベルファミリーグループのサロンを展開中。

お客様もスタッフも楽しく明るく。“ハッピーの連鎖”は世界を救う!

体育教員の夢を断念し、母と同じ美容師の道へ。

体育教員を目指して体育大学に入学したが、生涯働ける仕事がしたいと考えるようになり、美容師の道を選んだ。「SPCでがんばっている母の姿をずっと見てきたので、美容師なら一生楽しく働けると思ったのです」
大学卒業後、母が経営する美容室『ファンタスティックサム(現Pure 狭山店)』で働きながら通信制の美容専門学校に通い、美容師免許を取得した。「人生100年時代に、好きなこと・楽しいことを仕事にできていることがうれしくて。美容師になって良かったと改めて感じましたね」

留学先で夫ニコラと出会い、新店舗を次々にオープン!

30歳の時、イタリア・フィレンツェへ留学。留学の目的は、海外に店舗を出したかったから。これは、大学時代からの夢でもあった。「留学先は当初ニューヨークの予定だったのですが、一度出張に行った際に現地を見て諦めました。街が完成されすぎていたんです。ヘアサロンもたくさんあるし、新たに店舗を出すのは少しハードルが高いかなと思ってしまって。ヨーロッパならイタリアかなと、直感で決めました。食べ物もおいしいですしね(笑)」
1年半をフィレンツェで過ごし、帰国後に『PRIMO 狭山店』をオープン。白を基調にしたイタリアンライクな内装にこだわった。「PRIMOはイタリア語で“一番”という意味があります。地域で一番の美容室になる、という意気込みでスタートしました」
2011年、留学先で知り合ったイタリア人男性・ニコラと結婚。「ちょうど東日本大震災が起こった年です。日本中のマインドが落ち込んでいる中、上を向いてがんばろうと夫と励まし合いました」
その後、イタリア・ミラノに念願の海外店舗をオープン。夫と共にイタリアへ移住し、コロナ禍の2020年に帰国のち、日本にて新たなブランド「Felice&spa ドライヘッドスパ専門店 Dormoドルモ」を2店舗オープンさせる。

SPCとの深い縁に導かれて入会。急速に店舗数を拡大!

SPCに入会したのは、2012年のこと。「母が古くから正会員として活動していて、私も室長やメンバーさんと面識があったので、家族会員での入会は自然な流れだったように思います。実は、母が若い頃勤めていた美容室がSPC関係者(元理事長)のお店で、後にその店舗を譲っていただいて独立したという経緯があるんです。だから、今のベルファミリーグループがあるのはSPCのおかげなんですよ」
入会後は、新人研修やセミナーで美容師としての知識や技術を磨いた。どちらかというと体育会系の組織体制に最初は少し戸惑ったが、体育大学出身の自身のスタンスには合致した。「SPCには厳しくも心ある先輩方がたくさんいて、教えていただいたことを素直に受け止めて実践すれば必ず売上アップにつながります。何よりも、室長の理念や姿勢がすばらしくて、言われた言葉がスッと心に入ってくるんです。いろんな意味で、私を成長させてくれた方ですね」
こうしてベルファミリーグループは急速に店舗数を増やし、すべての店舗で売上を伸ばしていった。

トップがいなくてもサロンが回る“4班制システム”を導入。

店舗数拡大の要となったのは、SPC第17代理事長・松薗芳子が考案した“4班制システム”だ。これは、美容室を組織として機能させる仕組みである。

①動員班(attack is money):客の動員のためWEB、SNSで集客をかける役割
②接客班(smile is money):技術とサービスで客をもてなす役割
③教育班(time is money):美容技術の向上を図る役割
④材料班(save is money):必要な材料を調達する役割

新人は適性を見たうえで4班のいずれかに配属。各サロンの店長も4つの班に分かれ、店長会議で班ごとに向上を図っていく。新人のうちから役割を与えることで、1人ひとりの責任感や自覚を養うことができ、スタッフの定着率やサロンのクオリティアップに絶大な効果をあげられるというものだ。「店舗の立ち上げから運営まで、ほとんどの領域を任されていた統括マネージャーの立場から、トップがいなくてもサロンが回る4班制を活用できたことは本当に大きかったですね」

“お客様がまた来たくなるサロンづくり”が成功の鍵だった!

もちろん、店舗を増やすことに成功したのは4班制導入だけが要因ではない。「私たちは常に、“お客様がまた来たくなるサロンづくり”を徹底しています。たとえば、新規のお客様が来店した際にはスタッフ全員でお声がけをしたり、次回予約で30%OFFにしたり。お客様にとって、楽しく心地いい空間を作り出すことが重要だと考えています。お客様が笑顔になれば、スタッフも嬉しくなる。ハッピーが連鎖していくんです」
ベルファミリーグループの理念には、“共に育ち、共に豊かに、共に幸福を 〜より多くの人々と〜”という言葉がある。「イタリア語で言うと『Crescere insieme stare bene insieme essere felice insieme con tutti(エッセレフェリチェインシエメ スターレットベーネインシエメ エッセレフェリチェインインシエメ コントゥティ)』。いい言葉でしょう」
母が一人でやっていた頃から、その理念は変わっていない。

これからも、世界中の人々をニコニコ・ワクワクにしたい。

フィフティーフィフティーの理美容の世界は、魔法の鏡のようなもの。鏡の一面は経営者、もう一面はスタッフだという。「鏡の中には美容室の成長と利益が映ります。中央には“フィフティーフィフティー”と書かれていて、経営者とスタッフが収益を公平に分け合うポイントになります。経営者はサロンを繁栄させ、スタッフは魔法の手さばきでお客様を美しく変身させる。この時“フィフティーフィフティー”は魔法のラインで結ばれ、収益が均等に分かれます。均等な収益の分配は、経営者とスタッフの間に信頼とモチベーションを育む魔法の要素なんです。経営者はサロンの成功を享受し、スタッフは美容師としての仕事に情熱を注ぎ、お客様は魔法のサイクルによって美しさと自信を手に入れる。協力と公平さが利益を生み出すことでサロンは繁栄し、スタッフはワクワク感を抱き、美しい魔法が続いていく。私はそう考えています」
そんな彼女の座右の銘は、“世界中の人をニコニコ・ワクワクにすること”。日本に、海外に、ハッピーの連鎖を起こすベルファミリーグループの躍進はまだまだ終わらない。

INTERVIEW DATA

会社名
有限会社ベルファミリー
代表
上田 秀文
創業
1998年4月
店舗数
12店舗
スタッフ数
88名
本社所在地
埼玉県狭山市富士見1-1-7 丸喜ビル4F
URL
https://pure-hp.com

マージ・イマージュ

丸岡 舞Maruoka Mai

高校卒業後に化粧品メーカーへ入社。美容部員として6年間勤めた後、出張エステを独立開業。同時にネイルの学校へ入学し、まつ毛パーマとエクステの技術も修得。2003年、結婚・妊娠のタイミングで自宅サロンをオープン。2013年、離婚を機にサロンを移転し、『マージ・イマージュ』の名前で再オープン。その後、オリジナルメニュー「美まつ毛リフト®」「アイエステ®」を開発(商標登録)。“目元改善特化サロン”をコンセプトに、店舗展開を目指している。

“小さな挑戦”を続けて未来へ!変わることは、幸せになること。

エステティシャンの経験を活かして、自宅サロン開業。

高卒で入社した化粧品メーカーで美容部員としてエステやメイク業務を担当し、6年後に独立。出張エステをスタートさせる。「業務がしんどくて会社を辞めてしまったのですが、母から『それだけの腕があるのにもったいない、独立したら?』と勧められて。友人や親戚の家まで出向いて施術を行うようになったんです」
ちょうどその頃、人気モデルの間で流行っていたロングネイルに興味を持った。「私もやってみたいと思い、働きながらネイルの学校に通うことにしました。私が受講したコースは、まつ毛パーマとエクステの授業もセットになっていて。この時の学びが、今の“目元改善特化サロン”の原点です」
その後、結婚・妊娠のタイミングで家を購入し、2003年に自宅サロンをオープン。「家の看板を見て、ご近所さんが続々と来てくれました。子育てしながら働けるのは、自宅サロンのメリットですね」

何かを変えなきゃ、というタイミングでSPCと出会った。

10年間、自宅でサロンを続けたが、離婚を機に移転。2013年、『マージ・イマージュ』の名称でサロンを再オープンした。「移転して5年が経った頃、お世話になっていた知り合いのサロンオーナーの方からSPCを勧められたんです。『経営者って孤独でしょう。私はSPCに入って救われたのよ』と。私自身、特に孤独を感じていたわけではなかったのですが、漠然と何かを変えなきゃいけないと考えていたタイミングでした」
これまで、育児休暇も返上してがむしゃらにサロンを運営してきた。お店は予約が取れないほど繁盛していたが、単価が低いこともあり、売上にはそこまで反映されていなかった。
「私は団体行動が苦手で、組織に所属するなんて考えたこともなかったんです。でも、行動しなきゃ何も変わらない。そう考えて、チャレンジすることにしました。嫌なら退会すればいいか、みたいな気持ちもどこかにあったと思います」
こうして2018年、SPCに入会。

経営者たちの体験談と売上報告がモチベーションに!

「入会した当初は、定例会議や勉強会の意味すらわからなかったので、とにかく必死でしたが、そのうちメンバーさんと話をするのが楽しくなってきたんです。知っている方が所属していたこともあって、みなさん本当によくしてくださいましたし」
サロンを1日休業して会議に参加するのも、初めは抵抗があった。少ない売上がさらに少なくなってしまう不安と戦いながら、少しずつその環境に慣れていった。「SPCに入ってよかったことは、同じ立場の経営者たちと話したり、リアルな経験談を聞いたりして、自分に当てはめて考えられるようになったこと。自分の考え方が変わって、先輩方のアドバイスを素直に受け入れるようになった。そこから売上も伸びていきました」
所属する神奈川統括本部では、月に1回、グループLINEで売上を報告し合う。中には異次元の数字を叩き出すやり手の経営者もいた。「私も経営者として恥ずかしくない売上を堂々と報告できるようになりたい。そんな思いから、まずは月100万円を目標に売上アップの施策を真剣に考えるようになりました」

「お客様を信じなさい」先輩方に支えられ、売上目標を達成!

売上を伸ばすために、まずは新メニューの開発を行った。「エステの美肌メニューは、マスクの影響で肌荒れやニキビに悩む方に大好評でした。オリジナルのまつ毛パーマも好評でしたが、大きかったのはマグネシェイパー(高密度焦点式電磁波・HI-EM理論を利用した技術)という痩身マシーンを導入したこと。なんと、これだけで売上が20〜30%もアップしました」
二つ目の施策として、既存メニューの単価を上げた。「正直、単価アップは躊躇しましたね。お客様はなんて思うだろうって。迷っていたら、先輩方が『大丈夫!お客さんを信じなさい。それで来なくなるなら、それでいいじゃない』と、背中を推してくださったんです」
結果的に、SPCに入会してから約3ヶ月で売上100万を達成。そこからはコンスタントに100万を売り上げるようになった。「ある日、『なぜ目標が達成できたかわかる?』って先輩に聞かれたんです。答えられずにいたら『それは、あなたが目標を決めたからよ』と。目標がなければ頑張れない。あたりまえなんですけど、深いなと思いました」

2つのメニューで商標取得!サロンコンセプトが誕生

“目元改善特化サロン”がお店のコンセプトとして定着するきっかけとなったのは、目元エステを始めたこと。「ある先輩から目元の施術を教えていただいたんです。まぶたのたるみ改善という訴求で、今はそれを一番の売りにしてやっています。先輩は『私に何も返そうと思わなくていいの。あなたが成長することが私への恩返しだから。あなたが、同じように他の人に教えてあげられるようになればいいのよ』と言ってくださって。もう感謝しかないです」
目元エステは、「アイエステ®️」という名前で商標を取得。さらに、オリジナルのまつ毛パーマは「美まつ毛リフト®️」という名前で商標を取得。「商標を取った方がいいよ、と提案してくれたのは、SPCに誘ってくれたサロン経営の先輩です。商標登録に精通した方を紹介してくださって、その方を通じて取得したんです」

“小さな挑戦”の継続が、みんなの幸せにつながると確信!

「SPCには尊敬できる先輩方がたくさんいらっしゃるので、学ぶことだらけです。一人では思いつかないことを、もうすでに実践している方がいる。経営者として悩むことも先輩方は経験済み。何をやるにも、近道なんです。みなさんから情報がもらえるから、それだけでもSPCにいる価値があります」
今後の目標は、店舗を増やすこと。「私自身、大人数を仕切るようなタイプではないので、お店の規模を大きくするのではなく、再現性があってしっかり売上が見込める小さな店舗をいくつか持ちたいなと思っています。スタッフや運営陣のお給料がちゃんと支払えるような体制づくりをしたいんです」
現状維持でいい、変わることを恐れていた過去がある。「でも、将来的にも安定して幸せに生きていきたいし、関わってくれる人たちも幸せに生きてほしい。そう考えるようになってから、苦手なことも未来のために率先して取り組もうって決めたんです。実際、現状維持って難しいじゃないですか。時代もどんどん変わっていくし。変わることが未来の幸せにつながると思っています」
小さな挑戦を続けることが、みんなの幸せにつながる。覚悟を決めたその瞳は、確かな未来を見つめていた。

INTERVIEW DATA

会社名
マージ イマージュ
代表
丸岡 舞
創業
2013年2月
店舗数
1店舗
スタッフ数
3名
本社所在地
神奈川県横浜市泉区中田南3-6-2
ベルメゾン渥美201
URL
https://margie-image.com

株式会社横浜ハーベスト

松薗 芳子Yoshiko Matsuzono

鹿児島県生まれ。1976年29歳で通信制美容学校にて美容師免許を取得。1980年10月、株式会社横浜ハーベストを設立、鎌倉市にて開業し33歳で独立。現在はドミナント戦略として横浜市内を中心に14店舗を運営。所有する3棟のビルを社員のためにフル活用し、「家族ぐるみで一生一緒に働ける会社」をモットーに成長を続けている。

女手ひとつで独立起業。時代を切り拓いた独自の哲学と『4班制』システムを紐解く

29歳、女手ひとつで独立起業。女性の社会進出が少ない時代を切り拓いた戦略

1976年、シングルマザーになったことがきっかけとなり、29歳で免許を取得し専業主婦から美容師へ転身。パートからスタートするも、すぐに持ち前のビジネスセンスを発揮。自ら考案した、美容室を組織として機能させる仕組み『4班制』※1を実践し成果をあげた結果、当時の社長(横山室長)に認められ、社員から店長へとスピード昇格。4年後の1980年には『㈱横浜ハーベスト』を設立、鎌倉市にて開業し、33歳で独立を果たした。
『4班制』の導入と横浜市内を中心に出店を図るドミナント戦略、そして日本の社会情勢が活況に溢れはじめた時代の追い風を受けながら、会社は急成長を遂げた。
「ある時、専業主婦のままこの生活を続けていたら“何を成し得るだろうか”と思い立ち、夫婦それぞれの道を歩むことを決意しました。女手ひとつでビジネスの世界へ飛び込むのは並大抵の苦労では済まないことですが、子どもたちのためにも“美容室の経営者になるんだ”という強い覚悟が自分をここまで連れて来たんだと確信しています」
※1『4班制』詳細は後述

誰が抜けてもサロンが回る『組織づくり』を実現

29歳で子供2人を連れ、出身地鹿児島から兄を頼り横須賀へ出てすぐに職探しを始めると、『ヨシユキ美容室 衣笠店』のリーフレットを手にしたことがきっかけで面接を受け入社。これがSPCグループ創業者である横山義幸室長との出会いだ。
「SPCに入会して40年になりますが、室長が経営する美容室に入社してからずいぶん鍛えられました。“松薗さんは小柄なんだから人の3倍働いて、人の3倍考えて、人の3倍発言しなさい”と指南を受け試行錯誤したり、1年目はなかなか売上が上がらず、そこから“組織づくり”を考えるようになりました」
土地柄もあり保護観察処分を受けた青少年を採用するようになると口コミなどで続々と集り、一時は不良少年を更生させる美容室状態になっていたという。
「やんちゃな子たちをたくさん採用しましたが、お客様は来店しているのにスタッフが誰も来ない日もあって、新人育成の難しさを学びました。そこからますます美容室を組織化する取り組みに力を入れていきました」
独立した後は、“10店舗100人の会社づくり”を目標に、トップがいなくてもサロンが回る仕組み『4班制』という画期的なシステムを考案。全国のSPC会員サロンにも導入されることに。
「『4班制』が導入された直後は、全国で店長が次々と辞める事態が発生し、地方のサロンへ伝導にも行きましたが、室長の“辞めてもいい。弱い人より強い人を育てないと意味がない”という言葉に納得し、そのまま『4班制』を続行しました。すると、ほとんどのサロンはクオリティと売上の劇的な向上を実現させたんです」
現在、『4班制』は確実な成果をあげると評価され、全国のサロンへ普及している。

美容室を『組織』として機能させる仕組み『4班制』とは

『4班制』とは、すべてのスタッフを4つの班に分け、重要な仕事を割り振って個々に役割を持たせるシステム。
①『動員班』(attac is money)客の動員のためチラシを配ったり、SNSで集客をかける役割。
②『接客班』(smile is money)技術とサービスで客をもてなす役割。
③『教育班』(time is money)美容技術の向上を図る役割。
④『材料班』(save is money)必要な材料を調達する役割。
新人は適性を見たうえで4班のいずれかに配属、各サロンの店長も4つの班に分かれ、店長会議にて班ごとに向上を図っている。新人のうちから役割を与えることで、1人ひとりの責任感や自覚を養うことができ、スタッフの定着率やサロンのクオリティアップに絶大な効果をあげている。
「『4班制』は新幹線と同じ理論です。昔の機関車の動力はひとつだけでしたが、新幹線は何箇所にも動力がある。つまり4班すべてにエンジンを搭載することで、何があっても稼働し続けることが可能です。たとえば、店長が急に休んでも社長が長期不在でも、問題なくサロンが回ることで売上を上げ続けることができる。ひとつの動力では300万円の売上も、新幹線なら1000万円を達成できる。そうすれば1億円さえも現実的になります」
このシステムの原型は三者の幸福、「お客様」「スタッフ」「会社」の三位一体。すべての行動に理論付けをし”現場でどう実践するか”を思考展開することがビジネスの肝だと話した。

人生の恩師『横山室長』との出会いがターニングポイント

“室長はカリスマです”と話す松薗代表の人生を大きく変えたのは、専業主婦が安定を手放し経営者へとその才能を開花させるきっかけを与えた横山室長との出会いだった。
「“認識・方法・成果の三角形を回さないと結果は伴わない”という室長の哲学が私を変えました。会議などで愚痴が出れば、その問題(認識)に対してじゃあどうするか?(方法)を考えて解決する(成果)、この理論を取り入れることでサロン全体の意識も変わりましたね」
横山室長の人とは違う鋭い視点と哲学的思考は多くの経営者たちに影響を与えたという。
「室長は“正しいこと”を言わないんです。善悪やポジションで物事を決めつける固定概念がない。その代わり“面白いこと”を重視します。たとえば、誰かが喧嘩をしても止めず“良いね、元気があって”と積極的に促したり、紙に書いた無味乾燥なつまらない話より、生活の中に溶け込んでいる生きた哲学をもっとも大事にしていました」
座右の銘は「打ち叩かれてもしぶとく振る舞え。静寂の奥に知性を求め、手探りで生きる」。松薗代表がこれに“手探りで生きる”より“確信を持って生きる”方がよっぽど潔いと意見を述べたところ、素直に受け入れ座右の銘を書き換えたという逸話がある。業界のパイオニアとして君臨しながらも良いと思った意見は柔軟に取り入れる真摯な姿勢が、やはり横山室長が“カリスマ”と呼ばれる所以なのだと語った。

経営者としての成長は『仲間』あってこそ

1人の美容師が全国のサロンと交流を図ることは通常不可能だ。それが組織として全国展開し繋がっていることで日本全国に同業の仲間がいくらでもできる。そこには狭い視野で孤独経営をしていては見えない景色が広がっている。
「会議のために毎週経営者がお店から抜けることを懸念される方もいるのですが、スタッフに責任を任せることで自然と人は育ちますよ。座学で理論だけ聞いても駄目で、FCがしたいならFCで成功している人に実際に話を聞くことが肝心です。全国どこへ行っても様々な経営者たちと交流ができる環境は大きなメリットです。SPCの加入に悩んでいる方がいたら、私はこう言います。“明日辞めてもいいから入るって言ってみて”と。経営者は決断をしないと何も始まらないんです」

『家族』ぐるみで一生一緒に働ける会社

㈱横浜ハーベストでは、“家族ぐるみで一生一緒に働ける会社”をモットーにスタッフの生活をより豊かにするための経営方針を掲げている。スタッフの給料やボーナスを開示し“なぜこの人はこんなにもらえるのか”を数値で可視化。接客では、客の悩みを聞きだし次回予約に繋がるように“パーマで髪にボリュームをだしませんか?”などの解決メニューを提案しビジネスに変える心理学的アプローチを指導。スタッフの能力ややりがいを引き出すバランスの取れた社風づくりを徹底している。また、所有する3棟のビルをスタッフのためにフル活用し社員寮を完備、ガラス張りの本店ビル3Fには松薗代表自身がクリスチャンということもありプロテスタント教会を設立。スタッフの結婚式も幾度となく挙げてきたという。美容師同士の結婚は互いの仕事に理解があり周囲の協力も得えやすいため、会社として社内結婚を推奨、支援に取り組んでいる。
「結婚後はマンションの購入も勧めています。夫婦で持つと安定した生活基盤を共有できますし、長く働く糧にもなります。中小企業ならではの親しみやすさもあってか、みんな自分の兄弟や子供を当社に入れてくれるんです。そんな家族ぐるみで付き合える全員がファミリーのような会社でありたいと思っています」
女性の社会進出が始まってもいない時代を論理的思考でたくましく切り拓いてきた松薗代表。先駆者である一方で、児童養護施設のボランティアカットや小中学校の職業体験教育への参加、SDGsなど社会問題への取り組みもメディアが取り上げるずっと以前から継続して行っている。時代を見据えた活動で会社を急成長させ、スタッフからは家族のように慕われる松薗代表もまた、“カリスマ経営者”そのものだ。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社横浜ハーベスト
代表
松薗 芳子
創業
1980年10月1日
店舗数
14店舗
スタッフ数
150名
本社所在地
神奈川県横浜市中区弥生町4-36-2横浜ハーベストビル4F
取材店舗名
VAN COUNCIL 伊勢佐木町店
店舗所在地
神奈川県横浜市中区曙町 4-58-1 Y.HARVEST 1F
URL
https://y-harvest.co.jp

株式会社Cube

馬場 吉孝Baba Yoshitaka

1976年8月25日、愛知県岡崎市生まれ。理容美容専門学校を卒業後、理容室で6年間、美容室で3年間の修行を積み、実家の理容室『モモタローヘアーハウス』に就職。理容・美容のWライセンスを武器にキャリアを重ね、2013年に独立創業。現在は、愛知県岡崎市内で3店舗『HAIR MAKE Cube 岡崎井田店』『LUCIDO STYLE Cube 岡崎百々西店』『髪質改善 arms cube』を運営している。

理容・美容のWライセンスで実家の理容室を継承!
成功と挫折と気づきから“大家族主義”へ

“Wライセンス”を武器に、実家の理容室をリニューアル!

実家が営む愛知県岡崎市の理容室『モモタローヘアーハウス』の2代目として、高校卒業後に目指したのはもちろん理容師の道。地元の理容専門学校を卒業後、東海市の理容室で6年間修行し、さらに3年間美容室で修行した。「その頃『ビューティフルライフ』というドラマが流行っていて、ミーハーではありますが美容師にも興味が出てきたので、通信で美容師免許を取得したんです」
その後、実家の理容室へ就職。理容・美容のWライセンスを武器に理容所・美容所の両登録を行い、店名を『Cube(キューブ)』に変更。店舗を改装して、女性客の獲得を狙った。「6年間の理容室勤務の経験から、平日昼間はお客様が少ないことは分かっていました。会社勤めの男性は、土日もしくは平日夕方以降の予約がほとんど。なので、専業主婦や高齢女性なら平日の日中に来てくださるのでは、と考えました」

女性客獲得のため、大胆な“半額チケット作戦”を決行!

しかし、元々が地元密着型の正統派理容室だ。何もせずに女性客が来てくれるはずもなく、閑古鳥が鳴いている美容ブースを眺めてはため息をつく毎日。そこで、ある大胆な作戦を決行した。「女性が使える半額チケットを常連のお客様に配って、奥様や知り合いの女性を紹介していただきました」
すべてのメニューが半額というインパクトもあり、女性のお客様が殺到。「店舗の改装時にセット面を5席から8席に増やしていたのですが、当時は父と母と私の3人で回していたので急に人手が足りなくなってしまって。美容師の友人に声をかけて、お店に入ってもらうことにしました」
スタッフを雇うことになり、初めて給与の問題に直面。お客様は増えたものの、半額チケットの影響が大きく、まだまだ売上を支えるリピーターの獲得には至っていなかった。「家族経営なので、給与はどんぶり勘定なところがありました。僕自身、実家暮らしで金銭面でも親に頼っていた部分が大きく、給与としてもらっている金額に不満はありませんでした。ただ、こちらから誘ったスタッフに対しては給与面でしっかり応えなければと思い、店舗展開も視野に入れてあるセミナーに参加したんです」

SPCに入会後、売上拡大で“念願の2店舗目”オープン!

セミナーで近くに座っていた経営者の方が、あるSPC会員と知り合いだった。「店舗展開について詳しい話が聞けるということで、三重県のSPC会員さんを紹介していただき、すぐにSPCへ入会しました。タイミングってあるんですね」
SPC会員として第2・第4月曜日のメディア会議に出席するようになり、アドバイスを受けて新規顧客獲得のためのチラシ制作に着手。「実は、最初に作ったチラシは失敗に終わりました。制作に25万、配布に25万、計50万もかけて来てくれたお客様はたったの8人。失敗の原因は、僕がSPCが教えてくれた通りにやらなかったこと。『カット&カラーのセット料金はできるだけ下げた方がいいよ』と言われていたのに、欲張って高めの設定にしてしまった」
SPCのアドバイスを素直に受け入れるようになってから、なんと売上はうなぎのぼり。2013年に法人化し、その後、2店舗目となる『LUCIDO STYLE Cube 岡崎百々西店』をオープン。集客に成功し、2年後には売上1,000万を達成。

『LUCIDO STYLE』の成功体験がターニングポイント!

さらに、3店舗目となる『髪質改善 arms cube』をオープンさせるが、客足が伸びず赤字が続いた。「2店舗目の成功体験があったので、箱さえあれば大丈夫だと軽く考えてしまったのです。単価を低く設定していたので、数をこなすことで売上を上げていくしかなく、スタッフも疲弊してどんどん辞めていきました」
SPCに相談したところ、スタッフとの関わり方や教育についてアドバイスを受けた。「確かに、3店舗目は他の者に運営を任せっきりにしてしまって、スタッフとのコミュニケーションや教育を怠っていました。恥ずかしながら、SPCに指摘されてからスタッフとコミュニケーションをとるようになったんです。今思えば、『LUCIDO STYLE』はSPCブランドサロンとしてスタッフ教育がしっかりしていたし、求人も集客も元々のノウハウがあったので、最初からすばらしい人材が揃っていましたね」
その後、『髪質改善 arms cube』でもスタッフ教育に力を入れ、勤務体制や給与面、福利厚生なども少しずつ改善。店舗の売上は右肩上がりになり、スタッフの定着率も上がった。

節目にこだわるSPCイズムで、社内イベントを次々企画!

結果的に、『LUCIDO STYLE』というSPCブランドを取り入れることで、経営者としての考え方ががらりと変わった。「初めてキービジュアル撮影や海外フォトシュート研修に参加した時は、美容室でもこんなことができるんだと目から鱗でした。心踊る空間に身を置くことで、スタッフのモチベーションも上がりますから」
さらに、定例の全国フォーラムや決起大会にも積極的に参加することで、経営者同士のつながり、事業の広がりを実感している。節目にこだわるSPCのスタンスに共感し、自社でも50周年パーティーや入社式、新人歓迎会、ビアガーデン、社員旅行など、季節のイベントを行うようになった。「楽しいイベントは企画の段階もワクワクしますし、スタッフとの距離も縮まりますし、みんなのプラスになりますよね。弊社のアットホームな社風は、スタッフ同士が交流する機会が多いからではないでしょうか」

最高の接客・最高の技術で、お客様に喜んでもらいたい!

SPCと出会ったことで、美容師には何よりも“人間力・接客力”が必要だと気がついた。「お客様に最高の接客をして最高の技術を提供して、喜んでいただくことが私たちの最大の喜びです。人間力・接客力を磨くために、スタッフ同士が常にコミュニケーションを取り合い、家族のような信頼関係を築いています」
街の小さな理容室『モモタローヘアーハウス』は、長い年月を経て、深い愛情と思いやりにあふれた美容室グループに成長。“大家族主義”を体現している『Cube』の躍進は、とどまることを知らない。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社Cube
代表
馬場 吉孝
創業
2013年7月
店舗数
3店舗
スタッフ数
52名
本社所在地
〒444-0076 愛知県岡崎市井田町字南16-3
取材店舗名
店舗所在地
URL
https://www.momo-cube.com