ヘアーカルチャー関正人

関 正人Masato Seki

1960年1月1日、千葉県生まれ。1986年に理容店を出店し、1992年に『有限会社ヘアーカルチャー関』を起業。2011年、経営の悪化に伴い倒産するも、イチ社員から勤め直し、2014年から『ヘアーカルチャー関正人』として個人自事業を開業、再スタートを果たした。現在は千葉県内に3店舗を構える。

後を継ぐ息子と共にギネスを達成!

『美容バブル』からの転落。波乱万丈な経営者人生のスタート

公務員の父親と理美容師の母親の家系に生まれ、自身も美容師を志して東洋理容専門学校を卒業。その後、1986年の理容店出店を機に6年後に『有限会社ヘアーカルチャー』を起業。『HAIR CULTURE』をはじめ『クリック』などフランチャイズを含むサロン6店舗を運営。2000年代初頭の美容バブルに乗り順調な売上を立て続けていたが、税務管理を怠ったことで次第に経営状況が悪化。
「美容バブルに併せてフランチャイズのノウハウを駆使しながら順調だった当時、社員の給料を多めに支給するなど税金との収支バランスを見誤ってしまいました。厳しい状況のなか、それでも1年頑張りましたが、“経営の基本に立ち帰り、自分の力だけでは限界がある”と日に日に痛感し、状況を変えなければいけないと感じていました」

会社が倒産。『従業員』から『経営者』へ再出発するまで

2006年には多額の借金を抱えるほど厳しい状況に。そんな最中、知り合いの紹介でSPCの存在を知り加入。
「もともと会員の方で、経営の相談をさせてもらったんですが、現在の運営状況からかなり具体的にアドバイスをいただいたことで、もっと学びたいという意欲が湧いたので入会を決めました」
経営を基本から学びながら少しづつ改善に努めたものの、2011年に負のスパイラルから抜け出すことができず会社は倒産を余儀なくされた。
「苦渋の決断でしたが、やむおえず破産申し立てをし、サロンはお世話になった社長に渡し運営を続けてもらいました。家族とスタッフを守るために私もイチ従業員として働かせてもらうことになりました」
最悪の状況であるにも関わらず、スタッフは皆「お店は辞めません。関社長と共に会社を復活させます」と口を揃えた。
「どれだけ売上が悪くても、“スタッフの給料と生活だけは絶対に守る”という熱い想いがみんなに伝わっていたのだと思います」
サロンを買い取ってくれたオーナーもまた、関代表を助けるためにスタッフを守り、サロンを預かってくれたことに深く感謝しているのだという。
「店長としてサロンワークと並行しながら毎週会議に参加し経営を学んで力をつけた後、2014年には個人事業として『ヘアーカルチャー関正人』を開業し、借金をしてサロンを買い戻しました。言わばマイナスからの再スタートです」
一連の困難は自身にとって、“この経験がなければ本当の意味で経営と向き合い、本質を知ることはできなかった”また、“自分の挫折と惰弱さを心底知り、もう2度と絶対に負けないと誓った”と語った。

自分では気づけない『強み』を引き上げてもらえる環境がある

経営をイチから考え直したとき、“理念”をいかに仕事として現場に落とし込むかという点が課題であることに気がついた。現在、千葉本部の会議で関代表が発信しているのは『マインドセット』のプレゼンテーション。自身のなかにある“理念”や“思考”などをより具体化して“見える化”を図るというものだ。(“マインドセット”とは、固定された考え方や物事の見方を指す言葉)
「経営者としてのマインド=“在り方”が大切であると横山創設理事から教わり感銘を受けました。同時にSPCの理念をそのまま体現している姿に強烈に刺激と影響を受けました。室長はいつも相手の本質を見抜く人です。“関さんは早朝学級会に来なさい”そう言って私の得意分野の音楽をきっかけに交流をし、そこから積極的に挑戦するようになりました」
会議に得意なギターを用いて、音楽でコミュニケーションを図るという自由な発想が、自身だけでなく周りのエネルギーをも高めるのだという。
「一度、志を同じくするSGIの青年部総会へニューヨークに行った事があるんですよ。ひょんなことからチャイナタウンのレストランで『スタンド・バイ・ミー』を演奏することになって、そこには20カ国以上の観衆が大盛り上がり!スタンディングオベーション!そしてベーシストは同部屋の友人です。こんなふうに、全然違う角度からエネルギーを高め合える仲間もできたりします」
自身では気づけない“強み”や“成長ポイント”をまわりから指摘を受け、お互いに本音でぶつかりあえる環境がSPC組織の大きなメリットだ。

後を継ぐ息子の起業がターニングポイント

2014年、オーナーとして再スタートを切った関代表に大きな転換点をもたらしたのは、“後を継ぐよ”と言い東京から戻って来てくれた息子秀人さんの存在だった。
理美容師の家系を引き継ぎ、秀人さんが後継者となって、2019年『BARBER-BAR 都賀』を開業。
フランチャイズのノウハウをすでに駆使していた関代表と二人三脚でブランディングを行い、サロンを軌道に乗せた。
「ここから流れが変わりましたね。息子という後継者がいることによって活力が生まれますし、まわりの信頼感も得ることができました。いちばんの説得力は息子が前年対比150%の売り上げを立てバーバーバーを大きく引っ張りあげたことです」
頼もしい息子の存在によってさらに経営に注力できる環境が整ったことで、現在は更なる出店を検討中だ。

コロナ禍でも過去最高の売上を記録。前代未聞の給料アップ

経営不振の店が相次ぐコロナ禍において、ヘアーカルチャーでは、過去最高の売上を記録したという。
「コロナ禍にあってもメンズバーバーは好調という傾向があったため、目標売上をあえて高く設定し、それを1年間継続することを目指し頑張りました。達成するとスタッフ全員の給料を約5〜10万ほどアップできたんです。そうすることでスタッフのモチベーションが上がりました。より良いサービス提供へも繋がって良い循環も生まれました。そしてバーバーバーでも、ヘアーカルチャーでも念願のワンスタ100万円越え、単価1万円超えを達成しました」
自分はダメな経営者だと反省し、ずっと勉強に励んでいたという関代表だが、SPC千葉本部の本部長としても活躍、経営者としても急成長を遂げている。
「イチ従業員まで落ちた自分が店長になり、時間を稼ぎ、店を買い戻し、そこからコロナ禍でも好調に売上をつくることができた。あともう少しです、ようやくゼロに戻すことができたら、次はもっと上に行きたいですね」
サロンの閉店や会社の倒産、挫折から立ち上がった人間にしかない屈強さが感じられる。きっと諦めずに挑戦を続ける限り、何度でも立ち上がるヘアカルチャーは負けることはないだろう。

 

全店舗をリニューアル。新時代に備える個室型へ進化

経営が順調に転じたことで、『BARBER-BAR 都賀』は個室サロンにリニューアル。『HAIR CULTURE』も2店舗すべてを個室型へと完全リニューアルオープン。
来たる新しい時代に向けて、“在り方”を守りながら、古いやり方は捨てるというマインドセットの再構築を実施。
コロナ禍に打ち勝てる実績と経験こそが“財産”であると語った。

INTERVIEW DATA

会社名
ヘアーカルチャー関正人
代表
関 正人
創業
2013年10月
店舗数
3店舗
スタッフ数
11名
本社所在地
千葉県千葉市若葉区小倉台4-20-16
取材店舗名
ヘアーカルチャー、バーバーバー都賀
店舗所在地
千葉県千葉市若葉区小倉台4-20-16
URL
https://h-culture-1st.com

A-sam Group

長島 正男Masao Nagashima

1962年1月2日、埼玉県生まれ。理容専門学校を卒業後、1987年に理容店『ヘアーズビギン』を開業し独立。1992年にはサロンを増築移転し、2001年に『A-sam Group(エイサムグループ)』を設立。現在は、髪質改善やカラー専門、まつエク専門などそれぞれ異なるコンセプトと専門性を設けたサロンを埼玉県内に7店舗運営している。

7店舗すべてに異なる専門性を設け、効率的な『送客』でリスクヘッジ。『床屋』『パートサロン』『大型サロン』等多様な業態を展開するグループが見る展望。

『床屋』を『美容室』へ変えるには?時代の変化とともに経営者も変わることが必要

理容専門学校を卒業後、1987年25歳で理容室『ヘアーズビギン』を開業し独立。その後も精力的にサロンを出店するも閉店という苦渋の選択も経験。開業から数年は試行錯誤の繰り返しだった。
時代の流れとともに理容室は減少の一途を辿るなか、今後も多店舗展開をするためには主流となった美容室への業態変更が必須であったが、“美容室”としての経営学や接客応対などを学べる場所がなく、また経営者としての視点を養える機会をずっと探していた。
「最初は8坪ほどの理容店からのスタートでした。技術者として腕を磨くためにストイックに頑張ってきましたが、理容師が少なくなった世の中を考慮し、経営者として変わるべきときが来たと感じたんです」

厳しいフィードバックにこそ『成長』の伸びしろがある

理容師として日頃から様々な技術講習に足を運んでいたが、とある新しいシェービングの技術講習を受けに出向いたところ、同じ意識を持つ経営者と知り合ったことがきっかけとなりSPCの会議に参加した。
「技術講習を受けられる場所はこれまでたくさんありましたが、経営の勉強もできると知って参加の意欲が湧きました。早く“技術者”から“経営者”へと転換を図りたかったので何度か会議に参加してから入会を決めました」
入会してまず考えたのは、当時1店舗のみの運営だったサロンをもう1店舗増やすことだった。他店舗展開の目標のために“とにかく挑戦しよう”という強い意欲で1年後には18坪セット6面の美容室を出店。
ところが、集客も求人も思うようにいかずスタッフは言うことを聞かない…挙句、先輩経営者から「このチラシでは人は来ないよ」と集客への厳しい指摘も。
「はじめは厳しめのフィードバックもかなりもらいました。でも、改善すべき点さえわかればそこを伸ばせますし、足りないところほど勉強すれば先輩経営者と同じ視点が養えると考え、がむしゃらに頑張りました」
前途多難な道のりのなか、それでも走り続けることができたのは、一方で「困ったことはない?」とつねに気遣いをくれ、自店まで出向き直接アドバイスをくれる先輩経営者たちのあたたかな恩義があったからだと語る。
「ここまでしてくれるんだと驚きました。親身なアドバイスのおかげで、私はこれまでの苦悩から息を吹き返すことができました」

『教える側』と『教えられる側』、切磋琢磨し合い、つねに変化を生み出せることがメリット

経営者交流は、全国の多様なサロンから刺激を受けながら、つねに自身も変わり続けることができる点がメリットだ。
「ずっと同じ地域のなかだけで交流をすると新しい変化を感じにくくなりますが、全国のサロン経営者と知り合うことで、美容業界のスケールと深さを改めて感じます。事業規模の大きさはもとより、“こんな人になりたい”と思わせるカリスマ性”を持ったたくさんの先輩経営者に刺激を受け続けています。そういう環境に身を置くとバイタリティが湧いてもっと大きな展望が見えてきますね。自分はまだまだだなと」
そう語る長島代表にとって、15代目高橋理事が語った言葉が特に印象に残っているという。
「“3人の師匠を持ちなさい”とよく言われていたんです。原理原則を教えてくれる師匠、苦言を呈してくれる師匠、生き方を真似したいと思える師匠。私はそれぞれ当てはまる先輩がいます。ノウハウやアイデアは勝手に降ってくるものではなく、関わり合った人同志で切磋琢磨し合ってつねに新しいものを生み出していけるものだと考えていますので、この環境にいることで挑戦できた変化は無数にあります」
先輩と後輩、教える側と教えられる側、どちらも影響を与え合うからこそ、時代に即したサービスを発信し提供し続けることを可能にしている。

『育成サロン』から『パートサロン』に切り替えたことがターニングポイント

サロンにとって新人の育成は大きな課題であるが、(有)ベルファミリーの鈴木代表との出会いで、当サロンは大きな転換点を迎えた。いわゆる“育成型”の方針からほとんどのスタッフにパートを雇用する形態へと切り替えたのだ。
「社内の育成システムが確立しておらず、ずっとスタッフの定着率が不安定でした。多店舗展開をするうえでこれは大変な課題になると危惧していましたが、この方針転換で一気に流れが変わり会社は軌道に乗り始めました。貴重な資料ファイルをいただいた岸上代表をはじめ先輩経営者には多大なお力添えをいただきました」
パートサロンへの方針転換で活路を見出した後は、次のステップとして30坪の大型サロンを展開し中途採用スタッフをメインに置きながら新卒の育成も始めている。
「大型サロンを運営するにはパートさんだけで回すのは難しいですが、社員は必ず新卒である必要もないので、当店では中途採用を主にしています。元教育者や元店長のような方が多々いますので、即戦力になる方に教育係をお願いすることで“育成の仕組み”をつくっています」
現在は26名が社員で17名がパートの比率。だが、育成システムを確立したことで定着率は格段に上がった。

7店舗すべて異なる専門性を設けることで『送客』とリスクヘッジが可能に

『A-sam Group』では、現在7店舗のサロンを運営。カラー専門店やバーバー、髪質改善に美まつげサロンなどそれぞれに異なるコンセプトと専門性を設けることでリスクヘッジを図っている。
「7店舗すべてコンセプトを変えることで効率的な“送客”が可能です。全店の来客数のバランスを考えて、“カラーだけでいい”と言うお客様にはカラー専門店『グレッション高坂』を紹介したり、まつエクに興味があるお客様には『ルシードスタイルビギン アイラッシュ』へ誘導したり、自店のなかで送客し合って回していける仕組みを構築しています」
今後も、美容に関する新しいメニューや専門性のあるサロンを精力的に開発し、お客様のトータルビューティーをグループ内でカバーできることをビジョンとして日々進化を遂げている。

 

スタッフと夢を共有しグループ全体の好循環を生み出す

7店舗のサロンそれぞれに異なる専門性を設け運営しているのは、スタッフの個性を配慮した働きやすい環境づくりにも力を入れているためだという。
「雇用スタッフには中途採用が多いのですが、前の会社では見えなかったという将来を具体的に示し、希望年収を得るにはこれをこのように頑張ろう、などスタッフの夢を具体的に共有するようにしています。そういうなかで、色々なジャンルのお店があった方がスタッフ自身が多様な道を選ぶことができ、自主性を育てることにも役立ちます。そこからフランチャイズ出店など希望があれば支援しながら、スタッフのライフステージや希望に合わせて、より長く安定的に働けるような環境づくりを心がけています」
集客面だけでなく、スタッフの育成と成長においてもグループ全体で好循環を生み出している。

INTERVIEW DATA

会社名
A-sam Group
代表
長島 正男
創業
2001年4月
店舗数
7店舗
スタッフ数
43名(うちパート17名)
本社所在地
〒355-0221 埼玉県比企群嵐山町菅谷662-1
取材店舗名
LUCIDO STYLE BEGIN
店舗所在地
〒355-0221 埼玉県比企群嵐山町菅谷662-1
URL
https://a-sam.com

有限会社 Ruttu

比嘉 薫Kaoru Higa

1963年1月22日、沖縄県生まれ。結婚を機に会社を引き継ぎ、2004年 有限会社 Ruttu 設立。「ラブ&ホスピタリティー」をコンセプトに東京・埼玉でお客様のニーズやスタッフのライフステージに合わせたサロンを7店舗展開している。

約95%も失客を回避する独自の『接客メソッド』と28歳から設計する『キャリアプラン』制度で、時代に合わせた選択肢を提案。

28歳、ライフステージの変化を機に経営者としてのキャリア設計がはじまった

高校卒業後上京、通信教育で美容師免許を取得。技術者として腕を磨きながらコンテストにも積極的に参加していた。入社10年目の28歳で現在経営する会社元代表の長女と結婚。先代の逝去を機に会社を引き継ぎ、ヘアサロン『つるしま』を運営。その後独立し、2004年ヘアサロン『ルッツ』を新たに開業した。
当初は理容店であったサロンを“美容室”へと業態変更し、多店舗展開の構想を持っていたが、美容室経営の参考として相談できる相手はおらず、試行錯誤しながら孤軍奮闘を続けていた。
「独立の目標は当初から持っていましたが、床屋から美容室へと業態を変え多店舗展開を目指すには、あまりに情報が乏しく心細い状態でした。そのとき、美容業界に友人がいないことに気がついたんです」

『ノウハウ』と『仲間』。足りないピースが揃ったとき流れが変わった

会社を引き継いでから約10年間、経営と運営をこなしながら事業拡大のタイミングを見計らっていた。そんな折り、出身地の沖縄県から一緒に上京、就職した同期の友人がSPCに入会。これまで切磋琢磨し互いに高め合ってきた彼の“比嘉も向いてるよ”という言葉をきっかけに自身も入会に至った。
「引き継いだ店舗はいわゆる家族経営。今後、業態を変え出店するなど新たな挑戦に取り組むには経営方針を見直す必要があると感じていたので勉強するにはベストタイミングでした。美容メニューの技術やサロンの雰囲気、求人や集客など組織づくりの“ノウハウ”と“仲間”という足りなかったピースが同時に揃ったような感覚でした」
毎週会議に参加するにつれ、技術者から教育者、経営者へと思考の転換ができるようになり、美容室運営を1から学ぶためサロン見学にも参加。
「サロン見学に伺ったとき美容のパーマ施術を見せてもらいました。技術は得意なので1度見ただけですぐ再現できたんです。それで、オッケー!出店しよう!と決めました」
培ってきたたしかな技術と多店舗展開への経営戦略が揃ったとき、長年の悩みが晴れ道が拓けていくのを実感した。

「技術」「接客」「材料」「動員」の『4班制システム』が運営の基盤

比嘉代表が多店舗展開を実現するために自らが営業部長となり立ち上げたのは『4班制』というチームづくりのシステムだ。「技術」「接客」「材料」「動員」のそれぞれに4人の担当者を振り分け、その担当者の下にチームをつくり教育を行う。体系化することで業務がスムーズに引き継がれ、社長や幹部は経営に注力できる環境が整うという。
この『4班制』に取り組みはじめたことで、スタッフの働きやすさの改善とサロンのクオリティアップに成功。そして3店舗目となるヘアサロンを新たに出店し、会社は軌道に乗りはじめた。
「『4班制勉強会』を東京本部で実施し、その営業部長を自ら手を挙げ担当しました。その際にバックアップしてくれた先輩経営者には多大なお力添えをいただきました。この『4班制』でサロン運営の基盤ができたので、これが㈲Ruttsの原点だと思います」

また、経営者交流では“人に任せること”の要領やコツを伝授され業界の有力者たちからアドバイスを得るたび、まさに“目からウロコ”の連続だったという。
「1人分の視野では広い景色は見えません。人は年齢によってライフステージが変わっていきますが、自分に足りない視点を様々な立場から教えてくれるのが“経営者交流”です。自店のことだけでなく、業界全体の未来を考え後輩のために一肌脱いであげるという選択ができる経営者であれば理念を共有できると思います」
事業拡大など大きな展望を持ちスタッフとともに成長できるような上昇志向の経営者にこそ“経営者交流”は向いていると語った。

スタッフの『個性』を伸ばす教育方針へシフトしたことがターニングポイント

先輩経営者のサロンにはなぜスタッフが集まるのか。スタッフ確保に悩んでいた当時、サロン見学に伺い色々なスタッフの働き方を見ていてあることに気がついた。
「スタイリストにも個性があり得手不得手がありますが、苦手はスタッフ同士でフォローし合いながら、個人の長所を伸ばしているような教育方針が見えたんです。そのとき、自店のスタッフの長所は活かせているだろうかと自身を顧みました」
将来的に店舗が増え、スタッフを直接管理できる範囲に限界があることを考慮した場合、短所を指摘しひとつの模範に当てはめる教育よりも、長所を伸ばす方が理に適っているのではないかという考えに辿り着いた。
「真剣だからこそスタッフと意見のぶつかりが生じたりすることもありますが、きちんと対話し次の日には明るく声をかけます。“短所”は許して“長所”を伸ばす教育を心がけ、相手を受け入れながらスルーもできる“鈍感力”を大切にしています」
スタッフ個々人の短所を直すことに時間をかけるよりも、長所を何倍にも伸ばし、やりたいことがあれば自主性に任せるという教育方針に切り替えたことで定着率は安定。今ではスタッフ自ら撮影イベントを企画開催するなど働きやすいサロン環境を実現している。

約95%も失客を回避する『1対2』『1対3』の独自接客方法

㈲Ruttsでは、特にコミュニケーションに重点を置き独自の接客方法を取り入れている。
「“1対2”と“1対3”の接客方法という独自のメソッドがあります。たとえば、1対1のお客様と施術スタイリストの間にもう1人スタッフを混ぜて3人で会話をするんです。これが“1対2”の接客。みんな巻き込んで会話をするというのが昔からのスタイルなのですが、それを続けた結果、担当スタイリストが退職してもお客様の約95%はそのまま残ってくれるんです」
まるでサロン全体から接客をされているような安心感を与え、リラックスして心を預けてもらうことが失客を回避する秘訣というわけだ。“コミュニケーション”については新人の頃から技術力と同じくらいその重要性を指導し続けている。

また、会社の風土として特徴的なのは“スタッフの真面目さ”だという。『4班制』のコツコツと積み重ねる教育がしっかりとした基盤となって現在もサロンを支えている。
「東京のローカルな駅に店舗を構えているので、口コミは効果的な集客方法になります。そのため“この地域で口コミ1番か2番をとろう”と目標を掲げると、スタッフは地道にお客様にお声がけをしたり、実現するまで全員がコツコツと真面目に取り組みます。そんな場面を幾度となく見てきました」
仕事をするうえで、責任を持ってひたむきに取り組む姿勢に勝るものは他にない。スタッフの“誠実な人間性”を何よりも信頼していると語った。

現在運営しているサロン7店舗は、“美髪クリニック”や“ファミリーサロン”など、すべてのお店でコンセプトが異なる緻密なブランディングを図っており、全店にタカラベルモントの『YUME』シャンプー台を導入。“癒やし”や“リラクゼーション”メニューも好評を博している。
「同じようなサロンはつくらないようにしています。人事もそれぞれのサロンコンセプトに合ったスタッフを配置し、個性を活かせるような環境づくりに努めています」
口コミ、ブログ、LINEなど発信にも力を入れており、ホームページには自由闊達な社風が伝わるような工夫が施されている。

 

美容コンテストで優勝。次世代のクリエイティブを発信し続ける

ヘアコンテスト&ショーイベント『STYLING COLLECTION』にて、自身は準優勝を獲得、スタッフが個人部門で優勝を果たした経験があり、クリエイティブにも力を入れている。スタッフが自ら企画開催、またはSPCの大会を利用して『撮影会』『ヘアショー』『社内フォトコンテスト』など精力的に実施。創造性と組織力をつねに高め続けている。

28歳から組み立てる一人ひとりに合わせた『キャリアプラン』制度

自身が28歳で結婚したことを機に雇用を見直し、現在はライフステージの変化に合わせた“キャリアプラン”制度を設けている。
「28歳を分岐点としてそこからどのように働くかのキャリアプラン設計をしていきます。女性であれば出産後も同じ給与で復帰できる働き方を提案したり、男性であれば“のれん分け”や“業務委託”など、スタッフのやりたいことをできる限り叶えられるよう支援します。本人が将来に悩む前にあらかじめ進路を用意しておき、スタッフの希望に合わせたプランを組み立てていくという仕組みです」
サロン側から個人に合った進路を提案してあげることで、不安や迷いで離職するスタッフが激減。転職予定だったスタッフも28歳の面談で改めて希望のキャリアプランを立て直し現在も㈲Ruttsにて活躍中だという。
昨今の不安定な情勢において、自分の希望にピッタリ合った未来を会社とともに設計できるこの『キャリアプラン』制度は当サロンの将来性を無限に広げている。

INTERVIEW DATA

会社名
有限会社Ruttu
代表
比嘉 薫
創業
2004年9月22日
店舗数
7店舗
スタッフ数
52名
本社所在地
東京都練馬区田柄1-2-22
取材店舗名
Ruttu donna e uomo
店舗所在地
東京都板橋区成増2-11-8インフィニティ1F
URL
https://www.ruttu.com

株式会社アエラス 代表取締役

桂 辰麻Tatsuma Katsura

1970年10月8日、神奈川県生まれ。25歳で通信制の美容学校に通いながら美容師を目指す。2005年に独立開業し、現在2店舗を運営している。生涯顧客のための店販とお客様に合わせたカラーリングの提案でカラー比率70%を超える“大人女性のためのオーガニックサロン”を経営している。

『スタッフの将来』込みで描く10年後のビジョン。『店販』でギネス級売上を達成するサロンの秘訣に迫る。

開業翌日から大ピンチ!『スタッフが誰も来ない』1人のスタート

25歳で通信制の美容学校に通いながら美容師を志し、2005年にヘアサロン『Aeolus(アエラス)』を開業。
セット面は4台でシャンプー台は2台、10坪ほどの店構えから美容室経営へ乗り出したものの、業界に知り合いはおらず同業者との接点もないため、すべて我流でオープン。
すると、オープニングスタッフとして雇用した2名が次の日には店に来なくなった。オープン2日目にしてサロンは不測の事態に。
「スタイリストは自分だけ。1人で店を開けて回さなければならない状態で、悩んでも相談できる人はいませんでした。経営と運営の両方を1人でこなさなければならない現実に直面し、限界を感じました」

美容室経営の第1歩は“労務”を知ることから

開業早々、窮地に立たされたことから求人募集に取り組むも、新しいスタッフはなかなか定着しない。そのうえ頻繁に入れ替わることで売上にも影響がではじめていた。スタッフ確保の厳しさを痛感していた折りに、知り合いから他のサロン見学の誘いを受けたことがきっかけとなりSPC入会に至った。
「もともと未経験から美容業界に入ったため、有名な美容師や業界についてあまり詳しくなかったので、入会時に先入観はまったくありませんでした。それより、頻繁に相談にのっていただいたことが本当にありがたかったですね」
とりわけ、異質な美容業界において“労務”に関する知識がとても役立ったという。
「一般企業で“非常識”にあたることが、美容業界では“常識”になる場合もあります。まずは一般との違いを認識し、美容室としての労務管理体制をしっかり整えることが重要だと学びました」
スタイリストはヘアサロンにとって欠かせない存在だ。労働環境や雇用に関する制度をきちんと整備し、安定的にスタッフを確保していくことで、開業当初から比べ事業規模は約8〜9倍にも拡大。
今ではスタッフと共により大きな目標を描くことができるほど雇用状態は改善した。

経営にダメ出しの嵐。固定概念を捨て0からの立て直し

まずは、準会員として『メディアモーダー会議』に参加。経営についての学びを深めようと意気込んでいたが、出だしから鋭い指摘を浴びることとなった。
「我流でやってきたこれまでの経営方針を話すと、“自己満足になっていないか”との指南を受け初めて気が付きました。お客様のことを考えすぎるあまり、スタッフと向き合えていなかったのではと」
経営者として足りない視点への意見をもらううち、否定されたような気持ちになりながらも“店を維持するために経営者としてやるべきこと”を最優先に考え、会議のたびに自身の固定概念を一旦更地に戻してから、まったく新しく“経営戦略”を積み上げるように努めた。修正点が多いほど改善の余地も多いということだ。
「ほぼすべてのやり方を見直しました。素直にアドバイスを実践していくと、少しづつスタッフも定着しお客様も増えていくのを実感し、我流を捨て0から経営方針を立て直した効果が目に見えて現れ始めました」
それから店舗拡大の構想を実現するまでにさほど時間はかからなかった。
「ずっと路面店の物件を探していたので、不安もありましたが移転を決意しました。夢を語ると先輩経営者たちが背中を押してくれ、つねに経営者としての考え方を教えてくれたことが今の成功につながっていると実感します」
そして『Aeolus(アエラス)』は、目標にしていた路面店へ移転。その後も順調にスタッフが増えはじめ、事業拡大を図るまでに会社は急成長。現在は2号店となる『Lana(ラナ)』の2店舗を運営している。

『スタッフの将来』込みでサロンのビジョン。経営者交流で養った視点がターニングポイント

美容師を志すには一般的に遅いとされる25歳という年齢から業界に飛び込み、右も左もわからない状態で先輩経営者から学んだのは“スタッフの将来を一緒に考えてあげられる家族のような社風”だ。
これまでの孤独経営から、SPCに入会したことで“経営者”としての視野を広げ成長できたことがいちばんのターニングポイントだった。
「開業当初はサロンのビジョンを聞かれても答えることができなかったかもしれません。しかし今ではスタッフに多様な将来性を示すことができます。経営に挑戦したいなら暖簾分けを、技術を極めたいならそのために新たな道を作ることも可能です。スタッフの夢と挑戦を全力で支援します」
“スタッフの将来性”までを見込んだ当サロンの明確なビジョンはスタッフの数だけ幅広く広がっている。

昨年はギネス級店販売上を記録!『店販はお客様との信頼関係のバロメーター』

『Aeolus(アエラス)』では、特に店販に力を入れている。“店販はお客様との信頼関係のバロメーター”というモットーを掲げ、新人の頃から心がけるよう指導。会社の風土にもなっている。
「たとえば、美味い焼き鳥屋があれば人にオススメしますよね、商品も“良いものをオススメしよう”その感覚で良いと思うんです」
毎年12月の店販売上は技術売上に対して1:1にもなるが、2020年はコロナ禍による“巣ごもり需要”が増したことから店販は史上最高の売上を記録した。
「ただ“物を売る”のではなく、本当に良いものを紹介することを大切にしています。お客様の大半は髪のダメージを気にされているため、ホームケアの重要性を丁寧に説明しながらオススメするなど、一生担当させていただく心持ちでお客様と向き合うよう心がけています」
1人ひとりと時間をかけて信頼関係を築いていくことで“生涯顧客”を目指している。

 

カラー比率は70%。ニーズに合わせたニッチメニューで需要拡大を図る

『Aeolus(アエラス)』のコンセプトは『美と健康を大切にする大人女性のためのオーガニックサロン』。
1人ひとりの髪の健康やデザインなど要望に合ったカラーリングを導き出すことを得意としている。
「アレルギー対応のオーガニックカラーをはじめ、カラーメニューだけで10種類を取り揃えています。お客様の描く理想を丁寧にカウンセリングしピッタリ合うものをご提供できます」
客に合わせた細やかな提案やメニューの提供はニッチな市場をスピーディーに開拓できる当サロンならではの戦略だ。

スタッフが1人立ちするまで責任を持つ手厚いサポート体制

「スタッフは“ファミリー”だと思っています。誕生日や月1回の食事回を開催するなど、全員でコミュニケーションをとることを大事にしています」
将来を預かるスタッフを“子供”のように案じ、責任を持ってひとり立ちできるところまで送り出すことが今の夢だと語る。
「1から起業することの苦労は嫌というほどわかっているので、フランチャイズや新店舗を任せるなど、スタッフができるだけ安全に“やりたいこと”に挑戦できる環境を整えたいと考えています。ゆくゆくは現場を長く支えてくれるやる気のあるスタッフに渡していきたいですね」
1人からスタートした当サロンの未来を担うのは、今も増え続ける“ファミリー”の存在だろう。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会アエラス
代表
桂 辰麻
創業
2005年8月27日
店舗数
2店舗
スタッフ数
15名
本社所在地
神奈川県相模原市南区相模大野3-16-7 MATビル 1階
取材店舗名
Hair Design Aeolus
店舗所在地
神奈川県相模原市南区相模大野3-16-7 MATビル 1階
URL
https://aeolusk.jp