株式会社横浜ハーベスト

松薗 芳子Yoshiko Matsuzono

鹿児島県生まれ。1976年29歳で通信制美容学校にて美容師免許を取得。1980年10月、株式会社横浜ハーベストを設立、鎌倉市にて開業し33歳で独立。現在はドミナント戦略として横浜市内を中心に14店舗を運営。所有する3棟のビルを社員のためにフル活用し、「家族ぐるみで一生一緒に働ける会社」をモットーに成長を続けている。

女手ひとつで独立起業。時代を切り拓いた独自の哲学と『4班制』システムを紐解く

29歳、女手ひとつで独立起業。女性の社会進出が少ない時代を切り拓いた戦略

1976年、シングルマザーになったことがきっかけとなり、29歳で免許を取得し専業主婦から美容師へ転身。パートからスタートするも、すぐに持ち前のビジネスセンスを発揮。自ら考案した、美容室を組織として機能させる仕組み『4班制』※1を実践し成果をあげた結果、当時の社長(横山室長)に認められ、社員から店長へとスピード昇格。4年後の1980年には『㈱横浜ハーベスト』を設立、鎌倉市にて開業し、33歳で独立を果たした。
『4班制』の導入と横浜市内を中心に出店を図るドミナント戦略、そして日本の社会情勢が活況に溢れはじめた時代の追い風を受けながら、会社は急成長を遂げた。
「ある時、専業主婦のままこの生活を続けていたら“何を成し得るだろうか”と思い立ち、夫婦それぞれの道を歩むことを決意しました。女手ひとつでビジネスの世界へ飛び込むのは並大抵の苦労では済まないことですが、子どもたちのためにも“美容室の経営者になるんだ”という強い覚悟が自分をここまで連れて来たんだと確信しています」
※1『4班制』詳細は後述

誰が抜けてもサロンが回る『組織づくり』を実現

29歳で子供2人を連れ、出身地鹿児島から兄を頼り横須賀へ出てすぐに職探しを始めると、『ヨシユキ美容室 衣笠店』のリーフレットを手にしたことがきっかけで面接を受け入社。これがSPCグループ創業者である横山義幸室長との出会いだ。
「SPCに入会して40年になりますが、室長が経営する美容室に入社してからずいぶん鍛えられました。“松薗さんは小柄なんだから人の3倍働いて、人の3倍考えて、人の3倍発言しなさい”と指南を受け試行錯誤したり、1年目はなかなか売上が上がらず、そこから“組織づくり”を考えるようになりました」
土地柄もあり保護観察処分を受けた青少年を採用するようになると口コミなどで続々と集り、一時は不良少年を更生させる美容室状態になっていたという。
「やんちゃな子たちをたくさん採用しましたが、お客様は来店しているのにスタッフが誰も来ない日もあって、新人育成の難しさを学びました。そこからますます美容室を組織化する取り組みに力を入れていきました」
独立した後は、“10店舗100人の会社づくり”を目標に、トップがいなくてもサロンが回る仕組み『4班制』という画期的なシステムを考案。全国のSPC会員サロンにも導入されることに。
「『4班制』が導入された直後は、全国で店長が次々と辞める事態が発生し、地方のサロンへ伝導にも行きましたが、室長の“辞めてもいい。弱い人より強い人を育てないと意味がない”という言葉に納得し、そのまま『4班制』を続行しました。すると、ほとんどのサロンはクオリティと売上の劇的な向上を実現させたんです」
現在、『4班制』は確実な成果をあげると評価され、全国のサロンへ普及している。

美容室を『組織』として機能させる仕組み『4班制』とは

『4班制』とは、すべてのスタッフを4つの班に分け、重要な仕事を割り振って個々に役割を持たせるシステム。
①『動員班』(attac is money)客の動員のためチラシを配ったり、SNSで集客をかける役割。
②『接客班』(smile is money)技術とサービスで客をもてなす役割。
③『教育班』(time is money)美容技術の向上を図る役割。
④『材料班』(save is money)必要な材料を調達する役割。
新人は適性を見たうえで4班のいずれかに配属、各サロンの店長も4つの班に分かれ、店長会議にて班ごとに向上を図っている。新人のうちから役割を与えることで、1人ひとりの責任感や自覚を養うことができ、スタッフの定着率やサロンのクオリティアップに絶大な効果をあげている。
「『4班制』は新幹線と同じ理論です。昔の機関車の動力はひとつだけでしたが、新幹線は何箇所にも動力がある。つまり4班すべてにエンジンを搭載することで、何があっても稼働し続けることが可能です。たとえば、店長が急に休んでも社長が長期不在でも、問題なくサロンが回ることで売上を上げ続けることができる。ひとつの動力では300万円の売上も、新幹線なら1000万円を達成できる。そうすれば1億円さえも現実的になります」
このシステムの原型は三者の幸福、「お客様」「スタッフ」「会社」の三位一体。すべての行動に理論付けをし”現場でどう実践するか”を思考展開することがビジネスの肝だと話した。

人生の恩師『横山室長』との出会いがターニングポイント

“室長はカリスマです”と話す松薗代表の人生を大きく変えたのは、専業主婦が安定を手放し経営者へとその才能を開花させるきっかけを与えた横山室長との出会いだった。
「“認識・方法・成果の三角形を回さないと結果は伴わない”という室長の哲学が私を変えました。会議などで愚痴が出れば、その問題(認識)に対してじゃあどうするか?(方法)を考えて解決する(成果)、この理論を取り入れることでサロン全体の意識も変わりましたね」
横山室長の人とは違う鋭い視点と哲学的思考は多くの経営者たちに影響を与えたという。
「室長は“正しいこと”を言わないんです。善悪やポジションで物事を決めつける固定概念がない。その代わり“面白いこと”を重視します。たとえば、誰かが喧嘩をしても止めず“良いね、元気があって”と積極的に促したり、紙に書いた無味乾燥なつまらない話より、生活の中に溶け込んでいる生きた哲学をもっとも大事にしていました」
座右の銘は「打ち叩かれてもしぶとく振る舞え。静寂の奥に知性を求め、手探りで生きる」。松薗代表がこれに“手探りで生きる”より“確信を持って生きる”方がよっぽど潔いと意見を述べたところ、素直に受け入れ座右の銘を書き換えたという逸話がある。業界のパイオニアとして君臨しながらも良いと思った意見は柔軟に取り入れる真摯な姿勢が、やはり横山室長が“カリスマ”と呼ばれる所以なのだと語った。

経営者としての成長は『仲間』あってこそ

1人の美容師が全国のサロンと交流を図ることは通常不可能だ。それが組織として全国展開し繋がっていることで日本全国に同業の仲間がいくらでもできる。そこには狭い視野で孤独経営をしていては見えない景色が広がっている。
「会議のために毎週経営者がお店から抜けることを懸念される方もいるのですが、スタッフに責任を任せることで自然と人は育ちますよ。座学で理論だけ聞いても駄目で、FCがしたいならFCで成功している人に実際に話を聞くことが肝心です。全国どこへ行っても様々な経営者たちと交流ができる環境は大きなメリットです。SPCの加入に悩んでいる方がいたら、私はこう言います。“明日辞めてもいいから入るって言ってみて”と。経営者は決断をしないと何も始まらないんです」

『家族』ぐるみで一生一緒に働ける会社

㈱横浜ハーベストでは、“家族ぐるみで一生一緒に働ける会社”をモットーにスタッフの生活をより豊かにするための経営方針を掲げている。スタッフの給料やボーナスを開示し“なぜこの人はこんなにもらえるのか”を数値で可視化。接客では、客の悩みを聞きだし次回予約に繋がるように“パーマで髪にボリュームをだしませんか?”などの解決メニューを提案しビジネスに変える心理学的アプローチを指導。スタッフの能力ややりがいを引き出すバランスの取れた社風づくりを徹底している。また、所有する3棟のビルをスタッフのためにフル活用し社員寮を完備、ガラス張りの本店ビル3Fには松薗代表自身がクリスチャンということもありプロテスタント教会を設立。スタッフの結婚式も幾度となく挙げてきたという。美容師同士の結婚は互いの仕事に理解があり周囲の協力も得えやすいため、会社として社内結婚を推奨、支援に取り組んでいる。
「結婚後はマンションの購入も勧めています。夫婦で持つと安定した生活基盤を共有できますし、長く働く糧にもなります。中小企業ならではの親しみやすさもあってか、みんな自分の兄弟や子供を当社に入れてくれるんです。そんな家族ぐるみで付き合える全員がファミリーのような会社でありたいと思っています」
女性の社会進出が始まってもいない時代を論理的思考でたくましく切り拓いてきた松薗代表。先駆者である一方で、児童養護施設のボランティアカットや小中学校の職業体験教育への参加、SDGsなど社会問題への取り組みもメディアが取り上げるずっと以前から継続して行っている。時代を見据えた活動で会社を急成長させ、スタッフからは家族のように慕われる松薗代表もまた、“カリスマ経営者”そのものだ。

INTERVIEW DATA

会社名
株式会社横浜ハーベスト
代表
松薗 芳子
創業
1980年10月1日
店舗数
14店舗
スタッフ数
150名
本社所在地
神奈川県横浜市中区弥生町4-36-2横浜ハーベストビル4F
取材店舗名
VAN COUNCIL 伊勢佐木町店
店舗所在地
神奈川県横浜市中区曙町 4-58-1 Y.HARVEST 1F
URL
https://y-harvest.co.jp